SPLEEN AND IDEAL / DEAD CAN DANCE [デッド・カン・ダンス]
憂鬱と理想 / デッド・カン・ダンス
01. 深き淵より我呼びかけたり
De Profundis (Out of the Depth of Sorrow)
02. 高翔 / Ascesion
03. 驕慢の罰 / Circumradiant Dawn
04. 枢要の罰 / The Cardinal Sin
05. 催眠 / Mesmerism
06. 絶対の謎 / Enigma of the Absolute
07. 出現 / Advent
08. 化身 / Avatar
09. 生ける者への提言 / Indoctrination(A Design for Living)
ブレンダンとリサの二人となった2ndアルバム(86年)。共同プロデューサー としてジョン・リヴァース(アイレス・イン・ギャザ、フェルトなどのチェリー・レッドの アーティストやラヴ・アンド・ロケッツなどを手がけた)がクレジットされている。
DCDはアルバムごとに大きく印象が異なるバンドであるが(なので私が最もよく聴くのはベスト盤『時間軸の旅』)、この2枚目と5作目『エイオン』が好きだ。ロック的な躍動感は後退する一方で、ヨーロッパ中世、ゴシック、呪術的、エスニック....といったDCDの音楽から連想される要素のすべてが出そろい、オリジナリティと完成度が一気に高まった作品。ブレンダン(彼の風貌はルイ14世の宰相マザランを思い出させる)のヴォーカルも深みがあってよい感じである。中でも「絶対の謎 / Enigma of the Absolute」は、暗い大聖堂の闇の中をステンドグラスから差す一筋の光を頼りに(ジェダイの騎士のようなフード付きコートを着て)逍遥するかのようで、私の中ではDCDの曲の中で五本の指にはいる作品。
廃墟を用いたジャケットも印象的で、作品のイメージとよくマッチしている。今にも崩れ落ちそうな建物。たどり着くのは難しそうだ。背を向けた女性が掲げる☆は所々欠けている。アート・ ディレクションはブレンダンがクレジットされており、23エンヴェロープではない。
クレジットされているゲスト・プレイヤー のうちマーティン・マクガーリック(チェロ)はマーク・アーモンドのバック・バンド、ウィリング・ シナーズの元メンバーで、後にスージー&ザ・バンシーズにも参加していたが、ディス・モータル・コイルにも参加していた人物でもある。
DEAD CAN DANCE / DEAD CAN DANCE [デッド・カン・ダンス]
『DEAD CAN DANCE』(1984)
01. The Fatal Impact
02. The Trial
03. Frontier
04. Fortune
05. Ocean
06. East of Eden
07. Threshold
08. A Passage in Time
09. Wild in the Woods
10. Musica Eternal
[Bonus Track]
11. Carnival of Light
12. In Power We Entrust the Love Advocated
13. The Arcane
14. Flowers of the Sea
1980年代のUK音楽(所謂New Wave)を扱った本・雑誌は意外に多い。現在私の手元にあるのは、以下の7冊。(ギタポ、ネオアコ関係は除く)
①『ロック・オルタナティヴ』(音楽之友社、1994年)
②『ブリット・ポップへの道』(ミュージック・マガジン社、1997年)
③『UK NEW WAVE』(シンコー・ミュージック、2003年)
④『レコード・コレクターズ2004年3月号』(ミュージック・マガジン社)
⑤『英国ロックの深い森 1976-1990』(ミュージック・マガジン社、2004)
⑥『ストレンジ・デイズ2004年5月号』(ストレンジ・デイズ)
⑦『80's ROMANCE』(カラー・フィールド、2009年)
バウハウスやエコバニ、ジョイ・ディヴィジョンといった大御所はいずれの本でも紹介されているが、デッド・カン・ダンスの作品が取り上げられているのは⑥のみ。オーストラリア出身ということが理由かもしれないが、⑤の「はじめに」では「英国生まれ以外のアーティストも今回は取り上げた」と書いていある。もしかすると、彼彼女らの音楽は、ロックという文脈から離れすぎたのか....。私にとってのNew Wave~ポスト・パンクとは、「何でもアリ」の世界だったのだけれども。
とはいえ、再結成バウハウスが彼らの曲「サーヴェイランス」(4thアルバムの「THE SERPENT'S EGG」に収録)をカヴァーしたり、トリビュート・アルバムがリリースされるなど、後の音楽シーンに与えた影響は少なくない。女性Vo.のリサ・ジェラルドがリドリー・スコット監督の映画『グラディエーター』(アカデミー作品賞受賞)やNHK大河ドラマ『龍馬伝』の音楽を担当するなど、ポピュラリティを獲得する一方でカルト的な人気も高い。オーストラリア出身ではあるものの、「英国ロック」としてスポットライトを当ててみたい。
この1stアルバム『DEAD CAN DANCE(邦題『エデンの東』)』のジャケットの写真は、パプア・ニューギニアの儀式用仮面で、ブレンダン・ペリーのインタビューによれば、デッド・カン・ダンスというバンド名を視覚的に再解釈してもらうために使ったという。曰く「この仮面は、かつて生命が宿る木の一部であったが、現在は死んでしまっている。しかし、作者の芸術性によって生命力が吹き込まれている」と。彼によれば、奇妙なバンド名は「非生物を生物に転換する思考様式(think of the transformation of inanimacy to animacy)や「死から生まれる生命というプロセス、そして生へと向かう死というプロセスの思考様式(think of the processes concerning life from death and death into live)」に基づいているという。う~む、哲学的だ。
原文はこちらのオフィシャルサイト。 http://www.dcdwithin.com/
(原文中の「reintrepretation」は「reinterpretation」のスペルミスだと思われる。)
現行盤のラスト4曲は、ミニアルバム『GARDEN OF THE ARCANE DELIGHT』からのテイクで、オリジナル盤には収録されていない。このミニアルバムの日本盤『深遠なる庭園にて・・・・』(キング : K15P-519)の解説は、「ポジティヴ・パンク系のバンド名をみていると、まるで申し合わせたように、デス(死)、セックス、カルトといった言葉を使用しているのに、思わず笑ってしまう」という書き出しで始まる。当時の音楽シーンを考慮すればいたしかたないが、まさか30年後に自分が笑われるとは、書いた本人も思ってなかったろう。この評論家さんのように「DEAD CAN DANCE」というユニット名ゆえに「暗い風変わりなゴス系バンド」だという認識が広がったことも否めない。
同解説ライナーには、「ポジティヴ・パンク」という言葉が何度も出てくる。1980年代、現在では「ゴシック・ロック」とよばれる様式は、ポジティブ・パンクとか、一部では「ネオ・サイケ」などと呼ばれていた。当時、雑誌『ロッキング・オン』にはその呼称を揶揄するようなマンガが載っていたが、たしかにこの作品にもポジティブという言葉からイメージされる要素はまったく感じられない。 今は亡き雑誌『Fool's Mate』のNo.43(1985年3月号)のディスク・レビュー欄で、瀧見憲司氏(多分)が『深遠なる庭園にて.....』からイメージされる言葉を羅列しているが、その通り。「安楽の地」「聖域」と「暗闇」「死」、「静寂」「幽玄」と「踊り続ける」といったアンビバレントな感覚が同居する不思議な感覚。
デッド・カン・ダンスの1stアルバムは、後の作品群と比べるとドラムやベースが強調されたロック寄りの作品であり、『ガーランズ』の頃のコクトー・トゥインズやジョイ・デヴィジョンなどに近い。またリサのヴォーカルは些かエキセントリックであり、洗練されておらず、アルバム全体としてオリジナリティを感じさせるものではない。そのため、後の作品で感じられる、クラシカルで重々しく、ズンズン墜ちていく暗闇の中に差す一筋の光といった雰囲気はほとんど感じられない。
しかし10やボーナス・トラックとして収録されている4曲には高い芸術性と深い精神性が感じられ、後のデッド・カン・ダンスを予感させるに十分な仕上がりとなっている。また3は87年にリリースされた4ADのコンピレーション『Lonely Is an Eyesore(邦題『夢物語4AD』)』でリメイクされた。プリミティヴなドラムにリサの祈るようなヴォーカルが乗るという基本的な構成は同じだが、様々な音が加えられており、宗教的な荘厳さが全面に出てきたようなミックスになっている。
「Frontier」(『夢物語4AD』収録ヴァージョン)
オーストラリアという国のイメージとはまったくつながらないアーティスト。ヨーロッパ的な退廃と耽美。そしてその後彼彼女らは、ヨーロッパにとどまらない普遍性を纏うようになっていく。