La Varieté / Weekend ~ ヤング・マーブル・ジャイアンツ後のアリソン・スタットン [ラフ・トレード・レコード]
ヤング・マーブル・ジャイアンツの解散後、アリソン・スタントンがサイモン・ブース(後にワーキング・ウィークを結成)やスパイクとともに結成したのがウィークエンド。81年にラフ・トレードからアルバム『ラ・ヴァリエテ』をリリースしたが、これが唯一のアルバム。この後UK音楽シーンで顕著になるジャズやラテン、ボサノヴァさらにはアフロ系まで取り入れたサウンドの先駆的作品。時に感じるもの悲しさも魅力的。このアルバムをプロデュースしたロビン・ミラーは、その後EBTGやシャーデー、ファイン・ヤング・カニバルズなどジャズやボサノヴァなどを取り入れた作品を手がけたという点でも興味深い1枚。元YMGのフィリップ・モクサムもベースで参加。
オリジナルは12曲入りだが、リイシューのたびにボーナストラックが異なるという困った作品である。まず1986年のジャパン・レコード盤(32JC-167)にはシングル「The View From Her Room / Leaves Of Spring」「Past Meets Present / Midnight Slows」の4曲が収録され、全16曲。ついで翌1987年にはミニアルバム『Live At Ronnie Scotts』の5曲を加えて『La Varieté - Live At Ronnie Scotts』としてリイシューされた。リリース元は、当時ラフ・トレードの販売権を持っていたビクター音産。中古盤市場ではこのビクター盤をよく見かけるので、日本ではいちばんなじみ深いのではないだろうか。1990年のラフ・トレード盤は、ジャパン・レコード盤の4曲プラス「Drum Beat For Baby (12" Mix) 」が追加され、計5曲のボーナス・トラック。さらに2000年のVynil Japan盤は、1995年に『'81Demos』としてリリースされた4曲を加えた全16曲。そして現行の2006年チェリー・レッド盤は、『'81Demos』からの曲とシングルの12インチ・ヴァージョンなど8曲のボーナス・トラックを加えた全20曲となっている。買うなら現行の20曲入りがベストだと思うが、『Live At Ronnie Scotts』の曲が収録されていないという点がなんとも痛い。公式音源を網羅しようとするなら、チェリー・レッドからリイシューされた『Live At Ronnie Scotts』(10曲のボーナス・トラック!)や、現在は入手が難しい『'81Demos』『Archive』まで揃えないといけないので、そろそろ彼女&彼らの音源を整理したボックスを期待したい。
このアルバムをYMGの『コロッサル・ユース』と比較して「無難な進化」と書いている文章をみかけたが、かつてジョン・レノンが亡くなった後に見られた、ポール・マッカートニーを貶めるかのような風潮を思い出した。音楽的な普遍性は、YMGよりもウィークエンドの方が高いと思う。
Past Meets Present
Summer Days
High Land, Hard Rain / Aztec Camera 「ネオアコ」の名盤 [ラフ・トレード・レコード]
『レコード・コレクターズ』2022年7月号の特集「80年代のロック・アルバム200」では113位と、15年前の特集「80年代ロック・アルバム・ベスト100」での25位から大きく順位を下げてしまったのが、アズテック・カメラのファースト・アルバム。軽快なアコースティック・ギターに乗った優しく流麗なメロディーは時に明るく、また甘美で実に日本人好みの音作り。このアルバムがリリースされた1983年は、バウハウスのラストアルバム『バーニング・フロム・ジ・インサイド』や セックス・ギャング・チルドレンのデビュー・アルバム、U2の『WAR(闘)』などがリリースされた年でもある。エキセントリックな表現手法や強いメッセージ性には疲れを感じ始めていた耳には、このアルバムの瑞々しさはなんとも心地よく響いたのではないか(ブルー・ナイルのファーストも)。一方で、そうした優しさゆえ、時間の経過とともにインパクトが薄れてしまい順位を下げてしまったのかもしれない。
とはいえ、80年代のポスト・パンクの中でも名盤としてあげてよい一枚である。ロディ・フレームはこの作品をレコーディングしたときまだ19歳だったそうだが、凝ったコーラスワークやアレンジなど、ちょっと信じられないくらいの完成度だ。ジャズやラテン・ミュージックも取り入れた懐の深さは、一年早く1982年に同じくラフ・トレードからリリースされたウィークエンドとともに先駆者の一人としてよいと思う。影響を受けた日本のアーティストも多いようだが、このアルバムから感じられる凛々しさや、タロットカードをモチーフにした「思い出のサニー・ビート」のMVのセンスは、ちょっとマネできないのでは、という気がする。「The Boy Wonders」のイントロがダイアー・ストレイツの「悲しきサルタン」に似てる、と思ったら次作のプロデューサーにはマーク・ノップラーが起用された。
Aztec Camera - Oblivious (Official Video)
The Boy Wonders
オリジナルは10曲入りで、最初のCD化に際して3曲が追加収録された。次いで2012年にはエドセルから7曲のボーナストラックを収録した17曲盤がリリースされ、さらに2013年にはドミノから30周年記念盤として2枚組がリリースされた。このドミノ盤が現状での決定版である。ドミノ盤のCD2には16曲が収録されているが、ポストカード時代のシングルは残念ながら未収。トニー・マンスフィールドがプロデュースした「冬の散歩道」は、エドセル盤にも12インチヴァージョンが収録されていたが、7インチヴァージョンは初聴き。アルバム・ヴァージョンよりも20数秒長く、スパニッシュなギターが全面に出ていて、ギターのフェードアウトで終わる。イントロのシンセがトニー・マンスフィールド的でとても良い。「思い出のサニー・ビート」のクライヴ・ランガー&アラン・ウィンスタンレー(後に『Frestonia』をプロデュース)ヴァージョンは、特によいとは思えない。
Aztec Camera - Walk Out To Winter (Original Rough Trade 7" Tony Mansfield Version)
Aztec Camera ''Oblivious'' (Clive Langer/Alan Winstanley remix)
Original Album Series: Aztec Camera
- アーティスト: AZTEC CAMERA(アズテック・カメラ)
- 出版社/メーカー: Warner Music
- 発売日: 2010/02/27
- メディア: CD
Colossal Youth / Young Marble Giants ヤング・マーブル・ジャイアンツ [ラフ・トレード・レコード]
『レコード・コレクターズ』2022年7月号の特集は、創刊40周年特別企画の一環「80年代のロック・アルバム200」。15年前の2007年7月号の特集も、同様に創刊25周年企画の「80年代ロック・アルバム・ベスト100」だった。1位のトーキング・ヘッズ『リメイン・イン・ライト』と2位のU2『ヨシュア・トゥリー』は変わらないが、15年前に3位だったスクリッティ・ポリッティ『キューピッド&サイケ'85』が14位に下がり、一方で15年前には48位(22位の『ブラック・シー』、45位の『イングリッシュ・セトゥルメント』より下)だったXTC『スカイラーキング』が5位となっている。
中でも驚いたのが、15年前29位だったヤング・マーブル・ジャイアンツが7位に上がり、プリファブ・スプラウト『スティーヴ・マックイーン』(10位)、ジョイ・ディヴィジョン『クローサー』(22位)よりも上にランクされていたこと。レビューにもある通り「40周年の節目のリリースや彼らのインタビューが脚光を浴びて間もなかった」ということもあるだろうが、それでも増補版がリリースされている ザ・スミス『クイーン・イズ・デッド』(15位)やプリンス『サイン・オブ・ザ・タイムス』(9位)よりも上であり、残した作品は1枚だけというバンドであることを思えばオドロキである。アーティストの大物度よりも、アルバムそのもの=作品としてのインパクトがいかに強かったかを物語っている。
【『コロッサル・ユース』40周年記念盤リリース時のインタビュー】
・アリソン・スタットンとスチュワート・モクサムのインタビュー
https://turntokyo.com/features/young-marble-giants-interview/
・アリソン・スタットンとスチュワート・モクサムのインタビュー
http://www.ele-king.net/interviews/007923/
・アリソン・スタットンが選ぶ5枚
https://rollingstonejapan.com/articles/detail/36840
・スチュワート・モクサムが選ぶ10枚
https://rollingstonejapan.com/articles/detail/36957
私は1990年のデヴァイン&スタットンから遡り、ウィークエンド、YMGと聴いてきたクチで、最初に買った『コロッサル・ユース』は再発されたクレプスキュール盤だった。ある程度の予備知識はあったものの、予想した音楽とはあまりに違っていて唖然とした記憶がある。スカスカな音空間、結構鋭いギター、ボソボソと歌うアリソン・スタットン、オモチャみたいなチープな音のオルガンとリズムボックスと、正直その良さは当初わからず、何度も繰り返し聴いたものである。プロデュースには、元アモン・デュールⅡ~ホークウィンドのデイヴ・アンダーソンも加わっているが、おそらく彼が所有するスタジオ(フォーエル・スタジオ)でレコーディングされたことによるクレジットだと思われる。
2020年にリリースされた40周年記念盤には、チェリー・レッドからリリースされていた『Live At The Hurrah』(2004年)のDVDが付属しているが、CDだけをみてみると、2007年にリリースされた『Colossal Youth & Collected Works』(CD3枚組)よりも収録曲数は少ない。DVDをぜひ見たいという人以外は、クレプスキュールの1枚モノで十分ではないか。以下リリースの変遷。
1.最初のリリース(1980年、ラフ・トレード) 15曲
2.最初の再発(1990年、ラフ・トレード)
『Testcard E.P.』(1981)に収録されていた6曲を加えた全21曲
3.2度目の再発(1994年、クレプスキュール)
ラフ・トレード再発盤に『Final Day』(1980)の3曲と、1979年のコンピレーション『Is The War Over?』に収録されていた「Ode To Booker T. 」の計4曲を加えた全25曲
4.3度目の再発(『Colossal Youth & Collected Works』2007年、ドミノ)
CD3枚組で、CD1はオリジナル15曲、CD2はこれまでのボーナストラック10曲に、『Salad Days』(2000、Vinyl Japan)を加えた全26曲。CD3はBBCのジョン・ピール音源。これがあれば、音源はすべてそろう。私も一応買った。
5.40周年記念盤(『Colossal Youth / Loose Ends And Sharp Cuts』2020年、ドミノ)
CD2枚+DVDの計3枚組。CD2「Loose Ends And Sharp Cuts」は、『Salad Days』ベースの全14曲。『Testcard E.P.』『Final Day』からの曲はオミットされているので、2007年盤を持っている人は、(DVDが欲しい人以外は)買う必要はないだろう。
『Salad Days』は1979年年にYMGが自主制作したカセット『Colossal Youth』を、Vinyl Japanが2000年に再発したCD。インタビューの中で、アリソンが「最初のライヴの時にはカセットテープができていたと思う」と語っているのは、これを指している。もとは16曲だったのが、『Salad Days』は15曲で、その他トラック・リストも微妙に違っている。
自主制作『Colossal Youth』
https://www.discogs.com/ja/release/7325461-Young-Marble-Giants-Colossal-Youth
『Salad Days』
https://www.discogs.com/ja/release/830970-Young-Marble-Giants-Salad-Days
中でも驚いたのが、15年前29位だったヤング・マーブル・ジャイアンツが7位に上がり、プリファブ・スプラウト『スティーヴ・マックイーン』(10位)、ジョイ・ディヴィジョン『クローサー』(22位)よりも上にランクされていたこと。レビューにもある通り「40周年の節目のリリースや彼らのインタビューが脚光を浴びて間もなかった」ということもあるだろうが、それでも増補版がリリースされている ザ・スミス『クイーン・イズ・デッド』(15位)やプリンス『サイン・オブ・ザ・タイムス』(9位)よりも上であり、残した作品は1枚だけというバンドであることを思えばオドロキである。アーティストの大物度よりも、アルバムそのもの=作品としてのインパクトがいかに強かったかを物語っている。
【『コロッサル・ユース』40周年記念盤リリース時のインタビュー】
・アリソン・スタットンとスチュワート・モクサムのインタビュー
https://turntokyo.com/features/young-marble-giants-interview/
・アリソン・スタットンとスチュワート・モクサムのインタビュー
http://www.ele-king.net/interviews/007923/
・アリソン・スタットンが選ぶ5枚
https://rollingstonejapan.com/articles/detail/36840
・スチュワート・モクサムが選ぶ10枚
https://rollingstonejapan.com/articles/detail/36957
私は1990年のデヴァイン&スタットンから遡り、ウィークエンド、YMGと聴いてきたクチで、最初に買った『コロッサル・ユース』は再発されたクレプスキュール盤だった。ある程度の予備知識はあったものの、予想した音楽とはあまりに違っていて唖然とした記憶がある。スカスカな音空間、結構鋭いギター、ボソボソと歌うアリソン・スタットン、オモチャみたいなチープな音のオルガンとリズムボックスと、正直その良さは当初わからず、何度も繰り返し聴いたものである。プロデュースには、元アモン・デュールⅡ~ホークウィンドのデイヴ・アンダーソンも加わっているが、おそらく彼が所有するスタジオ(フォーエル・スタジオ)でレコーディングされたことによるクレジットだと思われる。
2020年にリリースされた40周年記念盤には、チェリー・レッドからリリースされていた『Live At The Hurrah』(2004年)のDVDが付属しているが、CDだけをみてみると、2007年にリリースされた『Colossal Youth & Collected Works』(CD3枚組)よりも収録曲数は少ない。DVDをぜひ見たいという人以外は、クレプスキュールの1枚モノで十分ではないか。以下リリースの変遷。
1.最初のリリース(1980年、ラフ・トレード) 15曲
2.最初の再発(1990年、ラフ・トレード)
『Testcard E.P.』(1981)に収録されていた6曲を加えた全21曲
3.2度目の再発(1994年、クレプスキュール)
ラフ・トレード再発盤に『Final Day』(1980)の3曲と、1979年のコンピレーション『Is The War Over?』に収録されていた「Ode To Booker T. 」の計4曲を加えた全25曲
4.3度目の再発(『Colossal Youth & Collected Works』2007年、ドミノ)
CD3枚組で、CD1はオリジナル15曲、CD2はこれまでのボーナストラック10曲に、『Salad Days』(2000、Vinyl Japan)を加えた全26曲。CD3はBBCのジョン・ピール音源。これがあれば、音源はすべてそろう。私も一応買った。
5.40周年記念盤(『Colossal Youth / Loose Ends And Sharp Cuts』2020年、ドミノ)
CD2枚+DVDの計3枚組。CD2「Loose Ends And Sharp Cuts」は、『Salad Days』ベースの全14曲。『Testcard E.P.』『Final Day』からの曲はオミットされているので、2007年盤を持っている人は、(DVDが欲しい人以外は)買う必要はないだろう。
『Salad Days』は1979年年にYMGが自主制作したカセット『Colossal Youth』を、Vinyl Japanが2000年に再発したCD。インタビューの中で、アリソンが「最初のライヴの時にはカセットテープができていたと思う」と語っているのは、これを指している。もとは16曲だったのが、『Salad Days』は15曲で、その他トラック・リストも微妙に違っている。
自主制作『Colossal Youth』
https://www.discogs.com/ja/release/7325461-Young-Marble-Giants-Colossal-Youth
『Salad Days』
https://www.discogs.com/ja/release/830970-Young-Marble-Giants-Salad-Days
Colossal Youth 40th Anniversary Edition [解説書 / 紙ジャケット仕様 /スペシャル・ブックレット / 2CD] (BRC683)
- 出版社/メーカー: BEAT RECORDS / DOMINO
- 発売日: 2021/11/26
- メディア: CD
Colossal Youth [40th Anniversary Edition] [12" VINYL]
- 出版社/メーカー:
- メディア: LP Record
Colossal Youth (40th Anniversary)
- アーティスト: Young Marble Giants
- 出版社/メーカー: Domino
- 発売日: 2020/12/11
- メディア: CD
Original Mirrors イアン・ブロウディがスティーヴ・アレンとともに結成したユニット [ライトニング・シーズ]
イアン・ブロウディというと「あのビッグ・イン・ジャパンで.....」という話からスタートするのは当然だが、BIJはEPとシングルのみのリリース。なので、彼のミュージシャンとしての本格的な活動は、元デフ・スクールのスティーヴ・アレン(デフ・スクール時代は、エンリコ・キャデラックと名乗っていた)と結成したオリジナル・ミラーズからである。オリジナル・ミラーズ~ケアー~ライトニング・シーズと聴いていくと、イアン・ブロウディの音楽的引き出しの多さがよくわかる。
オリジナル・ミラーズは『Original Mirrors』(1980)と『Heart-Twango & Raw-Beat』(1981)の2枚のアルバム(いずれもマーキュリーから)を残した。イアンとスティーヴ以外のメンバーとして、初期XTCのキーボード、ジョナサン・パーキンスや、以前トーク・トークの記事でも触れた腕利きベーシストのフィル・スポルディング(GTR~マイク・オールドフィールド・バンド)、それにイギリスの国民的バンド、スティタス・クォーのメンバーとして1985年のライヴ・エイドにも出演したドラマー、ピート・キルヒャーも在籍していた。それぞれに結構な腕利きばかりである。
Original Mirrors - Boys Cry
『Heartbeat: The Best Of Original Mirrors』(1996)は、「The Best Of」と銘打っているが、2枚のオリジナル・アルバムに収録されていた全20曲を収録した2イン1CDである。残念ながらラスト・シングル「20,000 Dreamers」は収録されていない。2作ともイアンのギターとスティーヴのヴォーカルを全面に出した、ちょっとヒネったパワー・ポップ。若きエネルギーがストレートに伝わってくるサウンドには、後のライトニング・シーズでのドリーミーな雰囲気は感じられないが、時折はいるコーラスワークやシンセの使い方などのアレンジと、キャッチーなメロディーのセンスは流石といったところ。オリジナル・ミラーズと同時期にファースト・アルバムをリリースした、同じくリヴァプールのヨッツ(Yachts:イッツ・イマテリアル~クリスチャンズに関わったヘンリー・プリーストマンのバンドで、シングルのプロデューサーは元デフ・スクールのクライヴ・ランガーだった)に近いものを感じる。ヨッツのファースト・アルバムとともに、パンクからニュー・ウェーヴへの過渡期を象徴するような作品。
Jeopardy / The Sound ザ・サウンドのファースト・アルバム [ザ・サウンド]
ザ・サウンドは初期2枚のアルバムをコロヴァからリリースしたこともあり、当時はエコー&ザ・バニーメンと比較されることもあったが、人気はエコバニ遠く及ばなかった。バンド解散後にはフロントマンのエイドリアン・ボーランドが列車に飛び込んで自殺するということもあり、今では「不遇な悲劇のバンド」の文脈で語られることが多い。しかし音楽のクオリティ面ではエコバニに勝るとも劣らず、UKニュー・ウェーヴ/ポスト・パンクの至宝(と僕は思っている)である。
1980年にリリースされたファースト・アルバム『Jeopardy』は、ジョイ・ディヴィジョンからの影響が強く感じられる音づくり。確かにオリジナリティという点では物足りないが、イアン・カーティスに比べるとエモショーナルなエイドリアン・ボーランドのヴォーカルと、緩急織り交ぜた巧みなアレンジとが相まって、デビュー作とは思えない完成度である。2枚目『フロム・ザ・ライオンズ・マウス』、3枚目『オール・フォール・ダウン』といった傑作の布石として、その後の活躍を予感させる秀作。"We will wait for the night , We will wait "という内ジャケに印刷されたフレーズが、しっくりくる。
The sound - I can't escape myself
The Sound - Unwritten Law
Night Versus Day
Jeopardy/from the Lion's Mouth
- アーティスト: Sound
- 出版社/メーカー: Imports
- 発売日: 2014/05/13
- メディア: CD
The Gist Complete : Another Way Of Being ザ・ジスト [ラフ・トレード・レコード]
ヤング・マーブル・ジャイアンツのスチュアート・モクサムが、YMG解散前にスタートさせていたプロジェクトがザ・ジスト。YMG解散後は弟のフィリップ・モクサムも加わり、ラフ・トレードから『Embrace The Herd』(1983)をリリースした。その後アルバム未収曲などを集めたコンピレーション『Holding Pattern』(2017)、『Interior Windows』(2020)がリリースされ、昨年にはこれらを集めた2枚組『Another Way Of Being』が日本オンリー(ハヤブサ・ランディグス)でリリースされた。これはザ・ジストの音源はほ網羅されているスグレものだ。
YMGの雰囲気を継承しつつも、テクノ・サウンドやラテン風、レゲエまで取り入れた明るいサウンドが彼らの持ち味。シングル「Love At First Sight」などスチュアートのヴォーカルも悪くないが、様々な女性ヴォーカルをゲストに迎えた楽曲群がそれぞれに魅力的。 なかでもウェンディ・スミス(プリファブ・スプラウトのウェンディとは同名異人で、ウィークエンドのジャケットなどを描いたイラストレーター)がヴォーカルの「Public Girls」は、「帰ってきたYMG」という感じで、なかなかよい。「Clean Bridges」はシンプルな女性コーラスだが、アリソン・スタットンも参加している。その他、デビー・プリッチャード(ウィークエンド~アリソン・スタットン&スパイクのスパイクと、ボム&ダガーやスパイク&デビーで活動していた)もヴォーカルで参加している(「Stones And Sunlight」「Assured Energy」)。
解散後にリリースされた『Holding Pattern』(2017)、『Interior Windows』(2020)を収録したCD2を聴くと、モクサム兄弟の多様な音楽性が垣間見えてなかなか面白い。凡庸なテイクもあり散漫な印象も受けるが、ネオアコ系の曲はどれもよい。「Public Girls」のデモなどは、公式ヴァージョンよりもこちらの雰囲気が僕は好きだ。
The Gist - Public Girls
The Gist - Clean Bridges
The Gist Stones And Sunlight #2
THE GIST ザ・ジスト/The Gist Complete:Another Way Of Being (解説:中村慶 対訳:多屋澄礼)国内盤 2CD
- アーティスト: THE GIST
- 出版社/メーカー: CA VA? RECORDS / HAYABUSA LANDINGS
- 発売日: 2021/05/26
- メディア: CD
NAH=POO-THE ART OF BLUFF / WAH! ピート・ワイリー [リヴァプールのアーティスト]
1990年にリリースされた『インファミー!』の日本盤オビには、「イアン・マッカロク、ジュリアン・コープとともに ネオ・マージー・サウンドを支えたリヴァプール三聖人の一人、ピート・ワイリー。」とある。「三聖人」ではなく「三変人」ではないのか....とも思ってしまうが、ピート・ワイリーの知名度は他の二人に比べると一歩どころか二歩も三歩も譲るのは否めない。しかし、存在は地味ながらもこれまで発表してきた楽曲のクオリティの高さを思うと、彼が80年代のリヴァプール・サウンドを支えてきたことに間違いはない。
ピート・ワイリー、イアン・マッカロク、ジュリアン・コープの3人が「三聖人」とよばれるのは、この3人がクルーシャル・スリーという同じバンドで活動していたからだが、イアンはクルーシャル・スリーについて、「グループといったって、ステージもやったことはないし、君だって学生時代にバンドくらいつくったろ。その程度のものさ。 5ワットのアンプにギターもベースもヴォーカルも みんな一緒につっこんで、みたいなね。」と語っている(『フールズ・メイト』85年1月号:No.41)。クルーシャル・スリーの消滅後もこの3人はくっついたり離れたししながら、最終的にはイアンのエコー&ザ・バニーメン、ジュリアンのティアドロップ・エクスプローズ、そしてピート・ワイリーのワー!へと落ち着いていくのだが、この間に出てきたバンドで、名前が拾えるのは以下の通り。実際の所、名前だけでレコーディングなど行われなかったというバンドもあっただろうし、さらに多くのバンドが介在していたとも思われる。
・THE MYSTERY GIRLS
ピートとジュリアンがピート・バーンズ(v)、 フィル・ハースト(d)と結成したグループ。ピート・バーンズとフィルがこのバンドの後に結成したナイトメア・イン・ワックスが、デッド・オア・アライヴに発展する。
・THE NOVA MOB
ピートとジュリアンが、バッジー(後にスジー&ザ・バンシーズのドラマー)らと結成。
・A SHALLOW MADNESS
ジュリアンとイアンがポール・シンプソン(後にティアドロップ・エクスプローズ~ワイルド・スワンズ~ケアー)らと結成。
・THE OPIUM EATERS
ピートとバッジーが、イアン・ブロウディ、後にフランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッドのメンバーとなるポール・ラザフォード&ホリー・ジョンソンらと結成。
・CRUSH COURSE
後にWAH! HEATへと発展するグループ。ギターのミック・レイドは、後にナイトメア・イン・ワックスに加入する。
【NAH=POO-THE ART OF BLUFF】
81年にリリースされた『NAH=POO-THE ART OF BLUFF』は、ピート・ワイリーが初めてリーダーとしてリリースしたアルバム。オープニング・ナンバーこそサイケ感覚だが、全体として陽のエネルギーを放出するかのような曲の数々は、憂鬱なイアン・マッカロクや屈折したジュリアン・コープなど、他のネオ・マージー・ビート組とは 一線を画している。ファースト・シングル「Better Scream」は収録されていないが(ベスト盤『THE HANDY WAH! WHOLE』に収録)、2ndシングル「Seven Minutes to Midnight」、3rd「Forget The Down!」(ボーナス・トラック)、4th「Somesay」などストレートな演奏と表情豊かなヴォーカルの突き抜け具合が心地よい。「Seven Minutes to Midnight」は、いわゆる「終末時計」のことを歌った曲で、この曲がリリースされた1980年に2分進められて「人類の終末まで7分前」になった。
2001年に再発されたCDには、「Forget The Down!」「Somesay」のイアン・ブロウディ・ミックス など7曲のボーナス・トラックが収録されている。 インナーにはオリジナルのレーベル写真などがカラーで紹介されており、なかなか丁寧な編集。当時のインディ・チャート(多分NME)が写真で紹介されているが、1位がPIG PAG、2位がDEPECHE MODE、3位はCLOCK DVAで4位がASSOCIATES。 IT'S IMMATERIALも7位にはいっている。Wah!!は「Forget The Down」が9位にチャート・イン。
ピート・ワイリー~Wah! のわかりづらさは度重なるメンバーチェンジとバンド名の変更にある。「Wah!」「Wah! Heat」「Mighty Wah!」などメンバーが変わるたび、アルバムのリリースのたびに変わり、さらには元に戻るなど混乱必至。このファーストアルバムの時期では、ファースト・シングル「Better Scream」とセカンド・シングル「Seven Minutes to Midnight」は Wah!Heat名義で、この『NAH=POO-THE ART OF BLUFF』と続く2枚のシングル「Forget The Down!」と「Somesay」は、単にWah!名義である(「Seven Minutes to Midnight」から「Somesay」までメンバーは変わっていない)。ところがリイシュー盤『NAH=POO-THE ART OF BLUFF』には、「THE MIGHTY WAH!」という表記もあり、もう意味不明状態である。このあと大幅なメンバーチェンジがあり、82年4月にリリースされたシングル「Remember」は、「SHAMBEKO SAY WAH!」という名義でリリースされた。
ピート・ワイリー、イアン・マッカロク、ジュリアン・コープの3人が「三聖人」とよばれるのは、この3人がクルーシャル・スリーという同じバンドで活動していたからだが、イアンはクルーシャル・スリーについて、「グループといったって、ステージもやったことはないし、君だって学生時代にバンドくらいつくったろ。その程度のものさ。 5ワットのアンプにギターもベースもヴォーカルも みんな一緒につっこんで、みたいなね。」と語っている(『フールズ・メイト』85年1月号:No.41)。クルーシャル・スリーの消滅後もこの3人はくっついたり離れたししながら、最終的にはイアンのエコー&ザ・バニーメン、ジュリアンのティアドロップ・エクスプローズ、そしてピート・ワイリーのワー!へと落ち着いていくのだが、この間に出てきたバンドで、名前が拾えるのは以下の通り。実際の所、名前だけでレコーディングなど行われなかったというバンドもあっただろうし、さらに多くのバンドが介在していたとも思われる。
・THE MYSTERY GIRLS
ピートとジュリアンがピート・バーンズ(v)、 フィル・ハースト(d)と結成したグループ。ピート・バーンズとフィルがこのバンドの後に結成したナイトメア・イン・ワックスが、デッド・オア・アライヴに発展する。
・THE NOVA MOB
ピートとジュリアンが、バッジー(後にスジー&ザ・バンシーズのドラマー)らと結成。
・A SHALLOW MADNESS
ジュリアンとイアンがポール・シンプソン(後にティアドロップ・エクスプローズ~ワイルド・スワンズ~ケアー)らと結成。
・THE OPIUM EATERS
ピートとバッジーが、イアン・ブロウディ、後にフランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッドのメンバーとなるポール・ラザフォード&ホリー・ジョンソンらと結成。
・CRUSH COURSE
後にWAH! HEATへと発展するグループ。ギターのミック・レイドは、後にナイトメア・イン・ワックスに加入する。
【NAH=POO-THE ART OF BLUFF】
81年にリリースされた『NAH=POO-THE ART OF BLUFF』は、ピート・ワイリーが初めてリーダーとしてリリースしたアルバム。オープニング・ナンバーこそサイケ感覚だが、全体として陽のエネルギーを放出するかのような曲の数々は、憂鬱なイアン・マッカロクや屈折したジュリアン・コープなど、他のネオ・マージー・ビート組とは 一線を画している。ファースト・シングル「Better Scream」は収録されていないが(ベスト盤『THE HANDY WAH! WHOLE』に収録)、2ndシングル「Seven Minutes to Midnight」、3rd「Forget The Down!」(ボーナス・トラック)、4th「Somesay」などストレートな演奏と表情豊かなヴォーカルの突き抜け具合が心地よい。「Seven Minutes to Midnight」は、いわゆる「終末時計」のことを歌った曲で、この曲がリリースされた1980年に2分進められて「人類の終末まで7分前」になった。
Seven Minutes to Midnight
Somesay
2001年に再発されたCDには、「Forget The Down!」「Somesay」のイアン・ブロウディ・ミックス など7曲のボーナス・トラックが収録されている。 インナーにはオリジナルのレーベル写真などがカラーで紹介されており、なかなか丁寧な編集。当時のインディ・チャート(多分NME)が写真で紹介されているが、1位がPIG PAG、2位がDEPECHE MODE、3位はCLOCK DVAで4位がASSOCIATES。 IT'S IMMATERIALも7位にはいっている。Wah!!は「Forget The Down」が9位にチャート・イン。
ピート・ワイリー~Wah! のわかりづらさは度重なるメンバーチェンジとバンド名の変更にある。「Wah!」「Wah! Heat」「Mighty Wah!」などメンバーが変わるたび、アルバムのリリースのたびに変わり、さらには元に戻るなど混乱必至。このファーストアルバムの時期では、ファースト・シングル「Better Scream」とセカンド・シングル「Seven Minutes to Midnight」は Wah!Heat名義で、この『NAH=POO-THE ART OF BLUFF』と続く2枚のシングル「Forget The Down!」と「Somesay」は、単にWah!名義である(「Seven Minutes to Midnight」から「Somesay」までメンバーは変わっていない)。ところがリイシュー盤『NAH=POO-THE ART OF BLUFF』には、「THE MIGHTY WAH!」という表記もあり、もう意味不明状態である。このあと大幅なメンバーチェンジがあり、82年4月にリリースされたシングル「Remember」は、「SHAMBEKO SAY WAH!」という名義でリリースされた。
トニー・マンスフィールドの仕事① ネイキッド・アイズ Naked Eyes [トニー・マンスフィールド]
トニー・マンスフィールドがプロデュースしたアーティストのうち最も成功したのが、イギリス出身のデュオ、ネイキッド・アイズ(a-haの「テイク・オン・ミー」もトニマンのプロデュース作品だったが、ヒットしたのは別人による再プロデュース作)。ネイキッド・アイズの2人サイモン・フィッシャーとピーター・バーンはもとネオンというバンドのメンバーで、ネオン解散後にサイモンとピートはネイキッド・アイズを、残る2人のローランド・オーザバルとカート・スミスはティアーズ・フォー・フィアーズを結成する。
1982年にシングル「Always Something There to Remind Me (邦題:僕はこんなに)」でデビューしたネイキッド・アイズは、2人組として活動した2年間に2枚のアルバムを残しているが、アメリカでリリースされた4枚のシングルすべてが全米トップ40にチャートインした。フェアライトやシモンズ、リン・ドラム、ヴォコーダーなど80年代テクノ~エレポップの雰囲気に満ちてはいるが、それでいてアコ-スティックなホーンの入り方が絶妙で、今聴くと不思議にノスタルジック。ポップでメロディアス、ちょっと哀愁という素敵なサウンドはトニマンの音作りに見事にハマっていた。アメリカではデビュー・シングル「僕はこんなに」が8位、2枚目のシングル「プロミセス・プロミセス」が11位と成功したものの[https://billboard.elpee.jp/artist/Naked%20Eyes/]、本国イギリスではさっぱり売れなかったというのが不思議で、「僕はこんなに」が59位、「プロミセス、プロミセス」が95位止まり。この間に(イギリスだけで)リリースされたシングル「Voices in My Head」はチャートインすらしていない。「僕はこんなに」はアメリカでの成功の勢いで本国でも83年に再リリースされ、このときはチャートには入ったものの59位にとどまった。
デビューシングル「僕はこんなに」は、バート・バカラック&ハル・デイヴィッドの曲で、多くのアーティストが取り上げている。最初のレコーディング(1963)は大御所ディオンヌ・ワーウィックで、翌64年にサンディー・ショー版が全英1位となり日本でもリリースされたが、そのときの邦題は「愛のウエイトリフティング」というとんでもないタイトルだった。なんでも、その年に開催された東京オリンピックにあやかったネーミングだというが.....。カーペンターズも「バカラック・メドレー」の中でこの曲をカヴァーしており、邦題は「愛の思い出」。色々と意見のある「僕はこんなに」という邦題だが、「僕は今も君のことをこんなに想ってる」という心を表現した、絶妙なタイトルだと想う。
「僕はこんなに」はUSヴァージョンとUKヴァージョンはイントロが微妙に違っていて、USヴァージョンはタイトなシンセドラムでスタートするが、UKヴァージョンにはシンセドラムが入っておらず、USヴァージョンに比べると、心に響くような鐘の音が際だつ入りになっている。日本盤7インチはUKヴァージョンになっていたので、僕はUKヴァージョンに愛着があったが、雑誌ロッキング・オンが監修した『ロッキン・オン・セレクション・エッセンシャル・ロック・オブ・UK・80’s』というコンピレーションCDを買ったところ、収録されていたのはUSヴァージョンだった。なんかビミョーだったし、さらに解説とはいえないレベルの解説のクズさには、ずいぶんとガックリきた記憶がある。
アビー・ロード・スタジオでレコーディングされたファーストアルバムは英盤と米盤ではタイトルとジャケットが違っていて、英盤は『Burning Bridges』、米盤は『Naked Eyes』というタイトル。米盤は、英盤に収録されていた12曲のうち「The Time Is Now」「A Very Hard Act to Follow」の2曲がオミットされて10曲となっていたのは、この2曲がそれぞれ「僕はこんなに」「プロミセス、プロミセス」のB面曲だったからと思われる(リイシュー盤『Naked Eyes』には「The Time Is Now」「A Very Hard Act to Follow」の2曲も収録されている)。 チェリー・ポップ(チェリー・レッドの再発専門レーベル)からリイシューされた『Burning Bridges』は全18曲、クリサリスからリイシューされた『Naked Eyes』は全15曲の収録となっており、「僕はこんなに」はそれぞれUKヴァージョンとUSヴァージョンで収録されている(良かった!)。
以下はノート。
①「 Always Something There To Remind Me 」に関して
・『Everything And More』に収録の「Tony Mansfield 12'' Mix」
・『Burning Bridges』収録の「U.S. Remix 」
・『Naked Eyes』収録の「Jellybean Extended Remix」
これら3つはすべて同じヴァージョンで、『Everything And More』に収録されているのはトニマンによるミックスではなく、ジェリービーンによるミックスである。「Tony Mansfield 12'' Mix」はオリジナルの英盤12インチに収録されたヴァージョンで、米盤プロモSPRO-9891 に"Long Version" として収録されているヴァージョンである(Jellybeanがリミックスしたヴァージョンを収録しているプロモ盤はSPRO-9924)。ビートルズの「マックスウェルズ・シルバー・ハンマー」風の金属パーカッションとか、これこそがホワイト・ノイズの名手、トニマンらしいミックスに仕上がっている。トニマンによるオリジナルの12インチミックスの方が、ジェリービーンのリミックスよりもよい。この「ロング・ヴァージョン」が収録されているCDはないものか。
②「Promises, Promises」に関して
・『Burning Bridges』にはオリジナル・アルバム・ヴァージョンで収録
・『Naked Eyes』ではオリジナルよりもイントロが短いUSシングル・ヴァージョンで収録されているが、これは『Burning Bridges』にボーナス・トラックとして収録されている「Promises Promises (U.S. 7" Remix)」 、『Everything And More』に収録の「Promises, Promises (Jellybean 7'' Mix)と同じヴァージョンである。
・『Everything And More』『Burning Bridges』『Naked Eyes』に収録されている「Jellybean~」はすべて同じヴァージョン。当時ジェリービーンの恋人だったマドンナの語りがフィーチャーされている。
・「Promises, Promises (Tony Mansfield 12'' Mix)」は、現状『Everything And More』だけでしか聞けない。
③トニー・マンスフィールドが担当した楽器について、『Burning Bridges』は「Guitars, Simmons Drums and Linn Programming」というクレジットなのに対して、『Naked Eyes』では「Bass Guitar, Simmons Drums and Linn Programming」となっている。ギターなのかベースなのか、それとも両方担当したのか。
2枚目のアルバム『Fuel For The Fire』(邦題:イン・ザ・ネーム・オブ・ラヴ、84年)は前作ほどのヒットとはならず、全米では83位にとどまり、イギリスではチャートの記録が残っていない。全10曲のうちトニマンのプロデュースは8曲で、残りの2曲はアーサー・ベイカーのプロデュース。アーサー・ベイカーがプロデュースした2曲に関しては、クレジットされているギタリストやドラマーが他の8曲とは違っている。アーサー・ベイカーが手がけた2曲のうちの1曲で、先行シングルとしてリリースされたオープニング・ナンバーの「イン・ザ・ネーム・オブ・ラヴ」(全米39位)は、悪くはないがトニマンが持っていたアコースティックな暖かみといった感覚が感じられず、時流に乗ったダンサブルなエレクトロ・ナンバーに終わってしまったのが惜しい。こちらもチェリー・ポップから7曲のボーナス・トラック入りで再発されている。
ネイキッド・アイズのYoutubeチャンネルでは、シングル・カットされた5曲すべてのPVを見ることができる。
https://www.youtube.com/channel/UCCJxcvDa-JOgDk62F7hoLsQ
解散後、ピーター・バーンはアメリカに拠点を移して活動し、スティーヴィー・ワンダーの全米No.1「パート・タイム・ラヴァー」(1985年)にバック・ヴォーカルでクレジットされている。またロブ・フィッシャーは、サイモン・クライミーとともにクライミー・フィッシャーとしてイギリスではネイキッド・アイズ以上の成功を収め、日本でも自動車(スズキ・カルタス)や家庭用ビデオカメラのCMに起用されていた。舘ひろしさんの「オレ・タチ・カルタス」で有名だったスズキ自動車のカルタスと言えば、ティアーズ・フォー・フィアーズの「シャウト」やペット・ショップ・ボーイズの「ウェスト・エンド・ガールズ」など洋楽使用では定評のあった車で、カルタスのCMに起用されたことは、クライミー・フィッシャーの楽曲クオリティの高さを物語っていた(クライミー・フィッシャーについては、ゆっくり聴き直してみたい)。残念ながらこちらもアルバム2枚で解散し、ロブはリック・アストリーへの曲提供(1991年の『FREE』に収録)などを行っていたが、1999年にガンのため亡くなった。リイシューされた『Burning Bridges』と『Naked Eyes』には、ロブ・フィッシャー追悼のクレジットがはいっている。
ピ-ター・バーンは、現在も1人でネイキッド・アイズの名前で活動中である。
Naked Eyes "Always Something There To Remind Me", Lost 80's Live, Salt Lake City, 9/7/2017
1982年にシングル「Always Something There to Remind Me (邦題:僕はこんなに)」でデビューしたネイキッド・アイズは、2人組として活動した2年間に2枚のアルバムを残しているが、アメリカでリリースされた4枚のシングルすべてが全米トップ40にチャートインした。フェアライトやシモンズ、リン・ドラム、ヴォコーダーなど80年代テクノ~エレポップの雰囲気に満ちてはいるが、それでいてアコ-スティックなホーンの入り方が絶妙で、今聴くと不思議にノスタルジック。ポップでメロディアス、ちょっと哀愁という素敵なサウンドはトニマンの音作りに見事にハマっていた。アメリカではデビュー・シングル「僕はこんなに」が8位、2枚目のシングル「プロミセス・プロミセス」が11位と成功したものの[https://billboard.elpee.jp/artist/Naked%20Eyes/]、本国イギリスではさっぱり売れなかったというのが不思議で、「僕はこんなに」が59位、「プロミセス、プロミセス」が95位止まり。この間に(イギリスだけで)リリースされたシングル「Voices in My Head」はチャートインすらしていない。「僕はこんなに」はアメリカでの成功の勢いで本国でも83年に再リリースされ、このときはチャートには入ったものの59位にとどまった。
デビューシングル「僕はこんなに」は、バート・バカラック&ハル・デイヴィッドの曲で、多くのアーティストが取り上げている。最初のレコーディング(1963)は大御所ディオンヌ・ワーウィックで、翌64年にサンディー・ショー版が全英1位となり日本でもリリースされたが、そのときの邦題は「愛のウエイトリフティング」というとんでもないタイトルだった。なんでも、その年に開催された東京オリンピックにあやかったネーミングだというが.....。カーペンターズも「バカラック・メドレー」の中でこの曲をカヴァーしており、邦題は「愛の思い出」。色々と意見のある「僕はこんなに」という邦題だが、「僕は今も君のことをこんなに想ってる」という心を表現した、絶妙なタイトルだと想う。
Naked Eyes - Always Something There To Remind Me (Official Video)
[There's] Always Something There to Remind Me / Dionne Warwick
サンディ・ショウ 愛のウエイトリフティング
「僕はこんなに」はUSヴァージョンとUKヴァージョンはイントロが微妙に違っていて、USヴァージョンはタイトなシンセドラムでスタートするが、UKヴァージョンにはシンセドラムが入っておらず、USヴァージョンに比べると、心に響くような鐘の音が際だつ入りになっている。日本盤7インチはUKヴァージョンになっていたので、僕はUKヴァージョンに愛着があったが、雑誌ロッキング・オンが監修した『ロッキン・オン・セレクション・エッセンシャル・ロック・オブ・UK・80’s』というコンピレーションCDを買ったところ、収録されていたのはUSヴァージョンだった。なんかビミョーだったし、さらに解説とはいえないレベルの解説のクズさには、ずいぶんとガックリきた記憶がある。
Naked Eyes - Always Something There to Remind Me (AB '83)
アビー・ロード・スタジオでレコーディングされたファーストアルバムは英盤と米盤ではタイトルとジャケットが違っていて、英盤は『Burning Bridges』、米盤は『Naked Eyes』というタイトル。米盤は、英盤に収録されていた12曲のうち「The Time Is Now」「A Very Hard Act to Follow」の2曲がオミットされて10曲となっていたのは、この2曲がそれぞれ「僕はこんなに」「プロミセス、プロミセス」のB面曲だったからと思われる(リイシュー盤『Naked Eyes』には「The Time Is Now」「A Very Hard Act to Follow」の2曲も収録されている)。 チェリー・ポップ(チェリー・レッドの再発専門レーベル)からリイシューされた『Burning Bridges』は全18曲、クリサリスからリイシューされた『Naked Eyes』は全15曲の収録となっており、「僕はこんなに」はそれぞれUKヴァージョンとUSヴァージョンで収録されている(良かった!)。
以下はノート。
①「 Always Something There To Remind Me 」に関して
・『Everything And More』に収録の「Tony Mansfield 12'' Mix」
・『Burning Bridges』収録の「U.S. Remix 」
・『Naked Eyes』収録の「Jellybean Extended Remix」
これら3つはすべて同じヴァージョンで、『Everything And More』に収録されているのはトニマンによるミックスではなく、ジェリービーンによるミックスである。「Tony Mansfield 12'' Mix」はオリジナルの英盤12インチに収録されたヴァージョンで、米盤プロモSPRO-9891 に"Long Version" として収録されているヴァージョンである(Jellybeanがリミックスしたヴァージョンを収録しているプロモ盤はSPRO-9924)。ビートルズの「マックスウェルズ・シルバー・ハンマー」風の金属パーカッションとか、これこそがホワイト・ノイズの名手、トニマンらしいミックスに仕上がっている。トニマンによるオリジナルの12インチミックスの方が、ジェリービーンのリミックスよりもよい。この「ロング・ヴァージョン」が収録されているCDはないものか。
Always Something There To Remind Me(Tony Mansfield 12'' Mix)
②「Promises, Promises」に関して
・『Burning Bridges』にはオリジナル・アルバム・ヴァージョンで収録
・『Naked Eyes』ではオリジナルよりもイントロが短いUSシングル・ヴァージョンで収録されているが、これは『Burning Bridges』にボーナス・トラックとして収録されている「Promises Promises (U.S. 7" Remix)」 、『Everything And More』に収録の「Promises, Promises (Jellybean 7'' Mix)と同じヴァージョンである。
・『Everything And More』『Burning Bridges』『Naked Eyes』に収録されている「Jellybean~」はすべて同じヴァージョン。当時ジェリービーンの恋人だったマドンナの語りがフィーチャーされている。
・「Promises, Promises (Tony Mansfield 12'' Mix)」は、現状『Everything And More』だけでしか聞けない。
③トニー・マンスフィールドが担当した楽器について、『Burning Bridges』は「Guitars, Simmons Drums and Linn Programming」というクレジットなのに対して、『Naked Eyes』では「Bass Guitar, Simmons Drums and Linn Programming」となっている。ギターなのかベースなのか、それとも両方担当したのか。
2枚目のアルバム『Fuel For The Fire』(邦題:イン・ザ・ネーム・オブ・ラヴ、84年)は前作ほどのヒットとはならず、全米では83位にとどまり、イギリスではチャートの記録が残っていない。全10曲のうちトニマンのプロデュースは8曲で、残りの2曲はアーサー・ベイカーのプロデュース。アーサー・ベイカーがプロデュースした2曲に関しては、クレジットされているギタリストやドラマーが他の8曲とは違っている。アーサー・ベイカーが手がけた2曲のうちの1曲で、先行シングルとしてリリースされたオープニング・ナンバーの「イン・ザ・ネーム・オブ・ラヴ」(全米39位)は、悪くはないがトニマンが持っていたアコースティックな暖かみといった感覚が感じられず、時流に乗ったダンサブルなエレクトロ・ナンバーに終わってしまったのが惜しい。こちらもチェリー・ポップから7曲のボーナス・トラック入りで再発されている。
ネイキッド・アイズのYoutubeチャンネルでは、シングル・カットされた5曲すべてのPVを見ることができる。
https://www.youtube.com/channel/UCCJxcvDa-JOgDk62F7hoLsQ
解散後、ピーター・バーンはアメリカに拠点を移して活動し、スティーヴィー・ワンダーの全米No.1「パート・タイム・ラヴァー」(1985年)にバック・ヴォーカルでクレジットされている。またロブ・フィッシャーは、サイモン・クライミーとともにクライミー・フィッシャーとしてイギリスではネイキッド・アイズ以上の成功を収め、日本でも自動車(スズキ・カルタス)や家庭用ビデオカメラのCMに起用されていた。舘ひろしさんの「オレ・タチ・カルタス」で有名だったスズキ自動車のカルタスと言えば、ティアーズ・フォー・フィアーズの「シャウト」やペット・ショップ・ボーイズの「ウェスト・エンド・ガールズ」など洋楽使用では定評のあった車で、カルタスのCMに起用されたことは、クライミー・フィッシャーの楽曲クオリティの高さを物語っていた(クライミー・フィッシャーについては、ゆっくり聴き直してみたい)。残念ながらこちらもアルバム2枚で解散し、ロブはリック・アストリーへの曲提供(1991年の『FREE』に収録)などを行っていたが、1999年にガンのため亡くなった。リイシューされた『Burning Bridges』と『Naked Eyes』には、ロブ・フィッシャー追悼のクレジットがはいっている。
東芝VHS-Cムービー AI-30AF
SUZUKI ニューカルタス GT-i
ピ-ター・バーンは、現在も1人でネイキッド・アイズの名前で活動中である。
NAKED EYES - ALWAYS SOMETHING THERE TO REMIND ME (LIVE)
Naked Eyes "Always Something There To Remind Me", Lost 80's Live, Salt Lake City, 9/7/2017
Naked Eyes - Always Something There To Remind Me Live 2021
BURNING BRIDGES ~ SPECIAL EDITION
- アーティスト: NAKED EYES
- 出版社/メーカー: CHERRY POP
- 発売日: 2012/11/05
- メディア: CD
FUEL FOR THE FIRE: EXPANDED EDITION
- アーティスト: NAKED EYES
- 出版社/メーカー: CHERRY POP
- 発売日: 2013/08/26
- メディア: CD
Promises Promises: Very Best of
- アーティスト: Naked Eyes
- 出版社/メーカー: Capitol
- 発売日: 1994/05/17
- メディア: CD
Cardiffians / Devine & Statton カーディフからの手紙 [クレプスキュール]
アリソン・スタットンとイアン・デヴァインによるデュオ、デヴァイン&スタットンのセカンド・アルバム。アリソンのヴォーカルと、イアンのソングライティング&アレンジの巧さがしっかりかみ合った名作。これがデヴァイン&スタットンのラスト・アルバムとなってしまったのは残念。
前作よりもゴージャスなサウンドになっているため、ヤング・マーブル・ジャイアンツ以来のシンプルさを好むファンにはちょっと「賑やかすぎる(騒々しい)」かもしれない。でも私としては、こうしたバンド・スタイルの演奏も良いと思う。クールだけど優しいアリソンのヴォーカルがよく生かされており、中でもオープニングの「ハイダウェイ」は、ピアノとホーンがちょっとノスタルジックで、爽やかな風のような名曲。クリスタル・ゲイルの1977年の大ヒット曲「Don't It Make My Brown Eyes Blue」(瞳のささやき)のカヴァーも良い。再発盤はオリジナルの12曲に加えて、「ハイダウェイ」の別ヴァージョンや「瞳のささやき」の12インチ・ヴァージョンを含む5曲のボーナス・トラックが収録されている(うち2曲はシングルにも収録されなかった未発表トラック)。それまでCDシングルでしか聴くことができなかった「ハイダウェイ」の別ヴァージョンは、クイーカやマリンバなどが加わり、ラテン・フレイバーあふれる心地よい仕上がりになっているが、どちらかというと、ピアノで始まるオリジナルの方が好きかな。
Devine & Statton - Hideaway
Hideaway (Version)
前作でニュー・オーダーの曲をカヴァーした縁か、ピーター・フックがベースで参加している。
Devine & Statton - Enough is enough
アリソンが生まれた港町カーディフCardiffはウェールズの首府(スコットランドのエジンバラと同様)で、俳優のヨアン・グリフィズやライド~オアシスのアンディ・ベルもこの街の出身。原題のCardiffansとは、「カーディフのファン」という意味だろうか(カーディフを本拠とするサッカーチーム、カーディフ・シティFCのファンもCardiffansと呼ぶらしい)。前作のタイトルは『The Prince of Wales』(邦題:遙かなるウェールズ)だったが、アリソンの故郷愛から考えると称号としてのPrince of Walesではく、イングランドに征服される前=ネイティヴのプリンス・オブ・ウェールズのことだろう。
Ashes Are Burning / Renaissance 燃ゆる灰 [プログレ系]
結成50周年ということで、2019年には旧譜のリマスタード&イクスパンディド・エディションがリリースされたルネッサンス(ただし1969年に結成されたのはジェーン・レルフの方のルネッサンス)。数多い作品群の中でもルネッサンスの最高傑作にして、英国ロック史上に燦然と輝く名作が、新生ルネッサンスの2作目(ルネッサンスとしては4作目)に当たる『燃ゆる灰』である。
01. Can You Understand
02. Let It Grow
03. On The Frontier
04. Carpet Of The Sun
05. At The Harbour
06. Ashes Are Burning
演奏の中心はジョン・タウトによるクラシカルでリリカルなピアノだが、このバンドの魅力は彼のピアノと女性ヴォーカリスト、アニー・ハズラムによるヴォーカルとの美しいコンビネーションにある。アニーの伸びやかで澄んだハイトーン・ヴォーカルは、優しい声質ながらちょっと哀感をも感じさせるが、なかでもラストの11分にわたるタイトル・ナンバーは、その魅力が十分に発揮された一曲。静かなピアノで始まりアニー・ハズラムのクルスタル・ヴォイスに導かれて徐々にドラマティックに展開していき、後半部ではヴォーカルに被ってアンディ・パウエル(ウィッシュボーン・アッシュ)の「泣き」のギターが入ってくる。英国ロックらしい、華麗で格調高く独特の暗さも感じる名作。
オープニング・ナンバー「キャン・ユー・アンダースタンド」におけるストリングスを使った間奏は映画『ドクトル・ジバゴ』のサントラ「Tonya and Yuri Arrive At Varykino」のメロディーが使われている。このため一部のアルバムには「Composed By [Instrumental Section] – Maurice Jarre」と、「Tonya and Yuri Arrive At Varykino」の作曲者であるモーリス・ジャールもクレジットされている。ダンフォードはこのメロディーをパブリックドメインのロシアの民謡だと勘違いしてそのまま使ったらしい。
ヒプノシスがデザインしたこのアルバムのジャケットには二種類のカヴァーがあり、構成はそっくりだが、UK盤ではアニーが微笑んでいるのにたいしてUS盤でのアニーは不機嫌そうに見える。また「渚にて」(At the Harbour)のオリジナルは6分を越える長さの曲だったが、一時は3分に編集された長さになっていた。これは同曲にドビュッシーの「前奏曲」が使われていたためで、著作権の変更により一時的に引用不可となっていたからである。
私が最初に買った日本盤(TOCP-6800)はオビに「世界初CD化」と書かれており、「不機嫌ジャケ」+「ドビュッシーなし」だったが、次に買ったドイツ盤(REP 4575-WY)は、「微笑ジャケ」+「ドビュッシーあり」、そして2001年にリリースされた日本盤(TOCP-65593)は「微笑ジャケ」+「ドビュッシーありなし両方(「なし」はボーナス・トラック扱い)」になっていた。2019年にリリースされた「50周年記念」には、74年にBBCで放送された3曲「Can You Understand」「 Let It Grow」「Ashes Are Burning」がボーナス・トラックとして収録されている。
「太陽のカーペット」にはジェーン・レルフによるデモ・ヴァージョンが存在しており、2枚組CD『ジェーン・レルフ・コンプリート・コレクション』にボーナス・トラックとして収録されているが、実はデモの方が「完全版」である。インナー・スリーヴの歌詞を読みながら聴いた人は気づいたと思うが、アニー版「太陽のカーペット」では「Come along and try, looking into ways of giving.」で始まる2番の部分がカットされている。一方、ジェーン版ではこの部分も歌われている。
01. Can You Understand
02. Let It Grow
03. On The Frontier
04. Carpet Of The Sun
05. At The Harbour
06. Ashes Are Burning
演奏の中心はジョン・タウトによるクラシカルでリリカルなピアノだが、このバンドの魅力は彼のピアノと女性ヴォーカリスト、アニー・ハズラムによるヴォーカルとの美しいコンビネーションにある。アニーの伸びやかで澄んだハイトーン・ヴォーカルは、優しい声質ながらちょっと哀感をも感じさせるが、なかでもラストの11分にわたるタイトル・ナンバーは、その魅力が十分に発揮された一曲。静かなピアノで始まりアニー・ハズラムのクルスタル・ヴォイスに導かれて徐々にドラマティックに展開していき、後半部ではヴォーカルに被ってアンディ・パウエル(ウィッシュボーン・アッシュ)の「泣き」のギターが入ってくる。英国ロックらしい、華麗で格調高く独特の暗さも感じる名作。
RENAISSANCE - Ashes Are Burning [LIVE IN STUDIO] 1974 RARE
オープニング・ナンバー「キャン・ユー・アンダースタンド」におけるストリングスを使った間奏は映画『ドクトル・ジバゴ』のサントラ「Tonya and Yuri Arrive At Varykino」のメロディーが使われている。このため一部のアルバムには「Composed By [Instrumental Section] – Maurice Jarre」と、「Tonya and Yuri Arrive At Varykino」の作曲者であるモーリス・ジャールもクレジットされている。ダンフォードはこのメロディーをパブリックドメインのロシアの民謡だと勘違いしてそのまま使ったらしい。
Tonya and Yuri Arrive At Varykino
ヒプノシスがデザインしたこのアルバムのジャケットには二種類のカヴァーがあり、構成はそっくりだが、UK盤ではアニーが微笑んでいるのにたいしてUS盤でのアニーは不機嫌そうに見える。また「渚にて」(At the Harbour)のオリジナルは6分を越える長さの曲だったが、一時は3分に編集された長さになっていた。これは同曲にドビュッシーの「前奏曲」が使われていたためで、著作権の変更により一時的に引用不可となっていたからである。
私が最初に買った日本盤(TOCP-6800)はオビに「世界初CD化」と書かれており、「不機嫌ジャケ」+「ドビュッシーなし」だったが、次に買ったドイツ盤(REP 4575-WY)は、「微笑ジャケ」+「ドビュッシーあり」、そして2001年にリリースされた日本盤(TOCP-65593)は「微笑ジャケ」+「ドビュッシーありなし両方(「なし」はボーナス・トラック扱い)」になっていた。2019年にリリースされた「50周年記念」には、74年にBBCで放送された3曲「Can You Understand」「 Let It Grow」「Ashes Are Burning」がボーナス・トラックとして収録されている。
「太陽のカーペット」にはジェーン・レルフによるデモ・ヴァージョンが存在しており、2枚組CD『ジェーン・レルフ・コンプリート・コレクション』にボーナス・トラックとして収録されているが、実はデモの方が「完全版」である。インナー・スリーヴの歌詞を読みながら聴いた人は気づいたと思うが、アニー版「太陽のカーペット」では「Come along and try, looking into ways of giving.」で始まる2番の部分がカットされている。一方、ジェーン版ではこの部分も歌われている。
Renaissance - Carpet of the Sun
Carpet of the Sun (feat. Renaissance) · Jane Relf
燃ゆる灰:50thアニヴァーサリー・ライヴ・イン・コンサート (2CD+DVD+Blu-ray)
- アーティスト: ルネッサンス
- 出版社/メーカー: DISK UNION
- 発売日: 2021/06/19
- メディア: CD