トニー・マンスフィールドの仕事① ネイキッド・アイズ Naked Eyes [トニー・マンスフィールド]
トニー・マンスフィールドがプロデュースしたアーティストのうち最も成功したのが、イギリス出身のデュオ、ネイキッド・アイズ(a-haの「テイク・オン・ミー」もトニマンのプロデュース作品だったが、ヒットしたのは別人による再プロデュース作)。ネイキッド・アイズの2人サイモン・フィッシャーとピーター・バーンはもとネオンというバンドのメンバーで、ネオン解散後にサイモンとピートはネイキッド・アイズを、残る2人のローランド・オーザバルとカート・スミスはティアーズ・フォー・フィアーズを結成する。
1982年にシングル「Always Something There to Remind Me (邦題:僕はこんなに)」でデビューしたネイキッド・アイズは、2人組として活動した2年間に2枚のアルバムを残しているが、アメリカでリリースされた4枚のシングルすべてが全米トップ40にチャートインした。フェアライトやシモンズ、リン・ドラム、ヴォコーダーなど80年代テクノ~エレポップの雰囲気に満ちてはいるが、それでいてアコ-スティックなホーンの入り方が絶妙で、今聴くと不思議にノスタルジック。ポップでメロディアス、ちょっと哀愁という素敵なサウンドはトニマンの音作りに見事にハマっていた。アメリカではデビュー・シングル「僕はこんなに」が8位、2枚目のシングル「プロミセス・プロミセス」が11位と成功したものの[https://billboard.elpee.jp/artist/Naked%20Eyes/]、本国イギリスではさっぱり売れなかったというのが不思議で、「僕はこんなに」が59位、「プロミセス、プロミセス」が95位止まり。この間に(イギリスだけで)リリースされたシングル「Voices in My Head」はチャートインすらしていない。「僕はこんなに」はアメリカでの成功の勢いで本国でも83年に再リリースされ、このときはチャートには入ったものの59位にとどまった。
デビューシングル「僕はこんなに」は、バート・バカラック&ハル・デイヴィッドの曲で、多くのアーティストが取り上げている。最初のレコーディング(1963)は大御所ディオンヌ・ワーウィックで、翌64年にサンディー・ショー版が全英1位となり日本でもリリースされたが、そのときの邦題は「愛のウエイトリフティング」というとんでもないタイトルだった。なんでも、その年に開催された東京オリンピックにあやかったネーミングだというが.....。カーペンターズも「バカラック・メドレー」の中でこの曲をカヴァーしており、邦題は「愛の思い出」。色々と意見のある「僕はこんなに」という邦題だが、「僕は今も君のことをこんなに想ってる」という心を表現した、絶妙なタイトルだと想う。
「僕はこんなに」はUSヴァージョンとUKヴァージョンはイントロが微妙に違っていて、USヴァージョンはタイトなシンセドラムでスタートするが、UKヴァージョンにはシンセドラムが入っておらず、USヴァージョンに比べると、心に響くような鐘の音が際だつ入りになっている。日本盤7インチはUKヴァージョンになっていたので、僕はUKヴァージョンに愛着があったが、雑誌ロッキング・オンが監修した『ロッキン・オン・セレクション・エッセンシャル・ロック・オブ・UK・80’s』というコンピレーションCDを買ったところ、収録されていたのはUSヴァージョンだった。なんかビミョーだったし、さらに解説とはいえないレベルの解説のクズさには、ずいぶんとガックリきた記憶がある。
アビー・ロード・スタジオでレコーディングされたファーストアルバムは英盤と米盤ではタイトルとジャケットが違っていて、英盤は『Burning Bridges』、米盤は『Naked Eyes』というタイトル。米盤は、英盤に収録されていた12曲のうち「The Time Is Now」「A Very Hard Act to Follow」の2曲がオミットされて10曲となっていたのは、この2曲がそれぞれ「僕はこんなに」「プロミセス、プロミセス」のB面曲だったからと思われる(リイシュー盤『Naked Eyes』には「The Time Is Now」「A Very Hard Act to Follow」の2曲も収録されている)。 チェリー・ポップ(チェリー・レッドの再発専門レーベル)からリイシューされた『Burning Bridges』は全18曲、クリサリスからリイシューされた『Naked Eyes』は全15曲の収録となっており、「僕はこんなに」はそれぞれUKヴァージョンとUSヴァージョンで収録されている(良かった!)。
以下はノート。
①「 Always Something There To Remind Me 」に関して
・『Everything And More』に収録の「Tony Mansfield 12'' Mix」
・『Burning Bridges』収録の「U.S. Remix 」
・『Naked Eyes』収録の「Jellybean Extended Remix」
これら3つはすべて同じヴァージョンで、『Everything And More』に収録されているのはトニマンによるミックスではなく、ジェリービーンによるミックスである。「Tony Mansfield 12'' Mix」はオリジナルの英盤12インチに収録されたヴァージョンで、米盤プロモSPRO-9891 に"Long Version" として収録されているヴァージョンである(Jellybeanがリミックスしたヴァージョンを収録しているプロモ盤はSPRO-9924)。ビートルズの「マックスウェルズ・シルバー・ハンマー」風の金属パーカッションとか、これこそがホワイト・ノイズの名手、トニマンらしいミックスに仕上がっている。トニマンによるオリジナルの12インチミックスの方が、ジェリービーンのリミックスよりもよい。この「ロング・ヴァージョン」が収録されているCDはないものか。
②「Promises, Promises」に関して
・『Burning Bridges』にはオリジナル・アルバム・ヴァージョンで収録
・『Naked Eyes』ではオリジナルよりもイントロが短いUSシングル・ヴァージョンで収録されているが、これは『Burning Bridges』にボーナス・トラックとして収録されている「Promises Promises (U.S. 7" Remix)」 、『Everything And More』に収録の「Promises, Promises (Jellybean 7'' Mix)と同じヴァージョンである。
・『Everything And More』『Burning Bridges』『Naked Eyes』に収録されている「Jellybean~」はすべて同じヴァージョン。当時ジェリービーンの恋人だったマドンナの語りがフィーチャーされている。
・「Promises, Promises (Tony Mansfield 12'' Mix)」は、現状『Everything And More』だけでしか聞けない。
③トニー・マンスフィールドが担当した楽器について、『Burning Bridges』は「Guitars, Simmons Drums and Linn Programming」というクレジットなのに対して、『Naked Eyes』では「Bass Guitar, Simmons Drums and Linn Programming」となっている。ギターなのかベースなのか、それとも両方担当したのか。
2枚目のアルバム『Fuel For The Fire』(邦題:イン・ザ・ネーム・オブ・ラヴ、84年)は前作ほどのヒットとはならず、全米では83位にとどまり、イギリスではチャートの記録が残っていない。全10曲のうちトニマンのプロデュースは8曲で、残りの2曲はアーサー・ベイカーのプロデュース。アーサー・ベイカーがプロデュースした2曲に関しては、クレジットされているギタリストやドラマーが他の8曲とは違っている。アーサー・ベイカーが手がけた2曲のうちの1曲で、先行シングルとしてリリースされたオープニング・ナンバーの「イン・ザ・ネーム・オブ・ラヴ」(全米39位)は、悪くはないがトニマンが持っていたアコースティックな暖かみといった感覚が感じられず、時流に乗ったダンサブルなエレクトロ・ナンバーに終わってしまったのが惜しい。こちらもチェリー・ポップから7曲のボーナス・トラック入りで再発されている。
ネイキッド・アイズのYoutubeチャンネルでは、シングル・カットされた5曲すべてのPVを見ることができる。
https://www.youtube.com/channel/UCCJxcvDa-JOgDk62F7hoLsQ
解散後、ピーター・バーンはアメリカに拠点を移して活動し、スティーヴィー・ワンダーの全米No.1「パート・タイム・ラヴァー」(1985年)にバック・ヴォーカルでクレジットされている。またロブ・フィッシャーは、サイモン・クライミーとともにクライミー・フィッシャーとしてイギリスではネイキッド・アイズ以上の成功を収め、日本でも自動車(スズキ・カルタス)や家庭用ビデオカメラのCMに起用されていた。舘ひろしさんの「オレ・タチ・カルタス」で有名だったスズキ自動車のカルタスと言えば、ティアーズ・フォー・フィアーズの「シャウト」やペット・ショップ・ボーイズの「ウェスト・エンド・ガールズ」など洋楽使用では定評のあった車で、カルタスのCMに起用されたことは、クライミー・フィッシャーの楽曲クオリティの高さを物語っていた(クライミー・フィッシャーについては、ゆっくり聴き直してみたい)。残念ながらこちらもアルバム2枚で解散し、ロブはリック・アストリーへの曲提供(1991年の『FREE』に収録)などを行っていたが、1999年にガンのため亡くなった。リイシューされた『Burning Bridges』と『Naked Eyes』には、ロブ・フィッシャー追悼のクレジットがはいっている。
ピ-ター・バーンは、現在も1人でネイキッド・アイズの名前で活動中である。
Naked Eyes "Always Something There To Remind Me", Lost 80's Live, Salt Lake City, 9/7/2017
1982年にシングル「Always Something There to Remind Me (邦題:僕はこんなに)」でデビューしたネイキッド・アイズは、2人組として活動した2年間に2枚のアルバムを残しているが、アメリカでリリースされた4枚のシングルすべてが全米トップ40にチャートインした。フェアライトやシモンズ、リン・ドラム、ヴォコーダーなど80年代テクノ~エレポップの雰囲気に満ちてはいるが、それでいてアコ-スティックなホーンの入り方が絶妙で、今聴くと不思議にノスタルジック。ポップでメロディアス、ちょっと哀愁という素敵なサウンドはトニマンの音作りに見事にハマっていた。アメリカではデビュー・シングル「僕はこんなに」が8位、2枚目のシングル「プロミセス・プロミセス」が11位と成功したものの[https://billboard.elpee.jp/artist/Naked%20Eyes/]、本国イギリスではさっぱり売れなかったというのが不思議で、「僕はこんなに」が59位、「プロミセス、プロミセス」が95位止まり。この間に(イギリスだけで)リリースされたシングル「Voices in My Head」はチャートインすらしていない。「僕はこんなに」はアメリカでの成功の勢いで本国でも83年に再リリースされ、このときはチャートには入ったものの59位にとどまった。
デビューシングル「僕はこんなに」は、バート・バカラック&ハル・デイヴィッドの曲で、多くのアーティストが取り上げている。最初のレコーディング(1963)は大御所ディオンヌ・ワーウィックで、翌64年にサンディー・ショー版が全英1位となり日本でもリリースされたが、そのときの邦題は「愛のウエイトリフティング」というとんでもないタイトルだった。なんでも、その年に開催された東京オリンピックにあやかったネーミングだというが.....。カーペンターズも「バカラック・メドレー」の中でこの曲をカヴァーしており、邦題は「愛の思い出」。色々と意見のある「僕はこんなに」という邦題だが、「僕は今も君のことをこんなに想ってる」という心を表現した、絶妙なタイトルだと想う。
Naked Eyes - Always Something There To Remind Me (Official Video)
[There's] Always Something There to Remind Me / Dionne Warwick
サンディ・ショウ 愛のウエイトリフティング
「僕はこんなに」はUSヴァージョンとUKヴァージョンはイントロが微妙に違っていて、USヴァージョンはタイトなシンセドラムでスタートするが、UKヴァージョンにはシンセドラムが入っておらず、USヴァージョンに比べると、心に響くような鐘の音が際だつ入りになっている。日本盤7インチはUKヴァージョンになっていたので、僕はUKヴァージョンに愛着があったが、雑誌ロッキング・オンが監修した『ロッキン・オン・セレクション・エッセンシャル・ロック・オブ・UK・80’s』というコンピレーションCDを買ったところ、収録されていたのはUSヴァージョンだった。なんかビミョーだったし、さらに解説とはいえないレベルの解説のクズさには、ずいぶんとガックリきた記憶がある。
Naked Eyes - Always Something There to Remind Me (AB '83)
アビー・ロード・スタジオでレコーディングされたファーストアルバムは英盤と米盤ではタイトルとジャケットが違っていて、英盤は『Burning Bridges』、米盤は『Naked Eyes』というタイトル。米盤は、英盤に収録されていた12曲のうち「The Time Is Now」「A Very Hard Act to Follow」の2曲がオミットされて10曲となっていたのは、この2曲がそれぞれ「僕はこんなに」「プロミセス、プロミセス」のB面曲だったからと思われる(リイシュー盤『Naked Eyes』には「The Time Is Now」「A Very Hard Act to Follow」の2曲も収録されている)。 チェリー・ポップ(チェリー・レッドの再発専門レーベル)からリイシューされた『Burning Bridges』は全18曲、クリサリスからリイシューされた『Naked Eyes』は全15曲の収録となっており、「僕はこんなに」はそれぞれUKヴァージョンとUSヴァージョンで収録されている(良かった!)。
以下はノート。
①「 Always Something There To Remind Me 」に関して
・『Everything And More』に収録の「Tony Mansfield 12'' Mix」
・『Burning Bridges』収録の「U.S. Remix 」
・『Naked Eyes』収録の「Jellybean Extended Remix」
これら3つはすべて同じヴァージョンで、『Everything And More』に収録されているのはトニマンによるミックスではなく、ジェリービーンによるミックスである。「Tony Mansfield 12'' Mix」はオリジナルの英盤12インチに収録されたヴァージョンで、米盤プロモSPRO-9891 に"Long Version" として収録されているヴァージョンである(Jellybeanがリミックスしたヴァージョンを収録しているプロモ盤はSPRO-9924)。ビートルズの「マックスウェルズ・シルバー・ハンマー」風の金属パーカッションとか、これこそがホワイト・ノイズの名手、トニマンらしいミックスに仕上がっている。トニマンによるオリジナルの12インチミックスの方が、ジェリービーンのリミックスよりもよい。この「ロング・ヴァージョン」が収録されているCDはないものか。
Always Something There To Remind Me(Tony Mansfield 12'' Mix)
②「Promises, Promises」に関して
・『Burning Bridges』にはオリジナル・アルバム・ヴァージョンで収録
・『Naked Eyes』ではオリジナルよりもイントロが短いUSシングル・ヴァージョンで収録されているが、これは『Burning Bridges』にボーナス・トラックとして収録されている「Promises Promises (U.S. 7" Remix)」 、『Everything And More』に収録の「Promises, Promises (Jellybean 7'' Mix)と同じヴァージョンである。
・『Everything And More』『Burning Bridges』『Naked Eyes』に収録されている「Jellybean~」はすべて同じヴァージョン。当時ジェリービーンの恋人だったマドンナの語りがフィーチャーされている。
・「Promises, Promises (Tony Mansfield 12'' Mix)」は、現状『Everything And More』だけでしか聞けない。
③トニー・マンスフィールドが担当した楽器について、『Burning Bridges』は「Guitars, Simmons Drums and Linn Programming」というクレジットなのに対して、『Naked Eyes』では「Bass Guitar, Simmons Drums and Linn Programming」となっている。ギターなのかベースなのか、それとも両方担当したのか。
2枚目のアルバム『Fuel For The Fire』(邦題:イン・ザ・ネーム・オブ・ラヴ、84年)は前作ほどのヒットとはならず、全米では83位にとどまり、イギリスではチャートの記録が残っていない。全10曲のうちトニマンのプロデュースは8曲で、残りの2曲はアーサー・ベイカーのプロデュース。アーサー・ベイカーがプロデュースした2曲に関しては、クレジットされているギタリストやドラマーが他の8曲とは違っている。アーサー・ベイカーが手がけた2曲のうちの1曲で、先行シングルとしてリリースされたオープニング・ナンバーの「イン・ザ・ネーム・オブ・ラヴ」(全米39位)は、悪くはないがトニマンが持っていたアコースティックな暖かみといった感覚が感じられず、時流に乗ったダンサブルなエレクトロ・ナンバーに終わってしまったのが惜しい。こちらもチェリー・ポップから7曲のボーナス・トラック入りで再発されている。
ネイキッド・アイズのYoutubeチャンネルでは、シングル・カットされた5曲すべてのPVを見ることができる。
https://www.youtube.com/channel/UCCJxcvDa-JOgDk62F7hoLsQ
解散後、ピーター・バーンはアメリカに拠点を移して活動し、スティーヴィー・ワンダーの全米No.1「パート・タイム・ラヴァー」(1985年)にバック・ヴォーカルでクレジットされている。またロブ・フィッシャーは、サイモン・クライミーとともにクライミー・フィッシャーとしてイギリスではネイキッド・アイズ以上の成功を収め、日本でも自動車(スズキ・カルタス)や家庭用ビデオカメラのCMに起用されていた。舘ひろしさんの「オレ・タチ・カルタス」で有名だったスズキ自動車のカルタスと言えば、ティアーズ・フォー・フィアーズの「シャウト」やペット・ショップ・ボーイズの「ウェスト・エンド・ガールズ」など洋楽使用では定評のあった車で、カルタスのCMに起用されたことは、クライミー・フィッシャーの楽曲クオリティの高さを物語っていた(クライミー・フィッシャーについては、ゆっくり聴き直してみたい)。残念ながらこちらもアルバム2枚で解散し、ロブはリック・アストリーへの曲提供(1991年の『FREE』に収録)などを行っていたが、1999年にガンのため亡くなった。リイシューされた『Burning Bridges』と『Naked Eyes』には、ロブ・フィッシャー追悼のクレジットがはいっている。
東芝VHS-Cムービー AI-30AF
SUZUKI ニューカルタス GT-i
ピ-ター・バーンは、現在も1人でネイキッド・アイズの名前で活動中である。
NAKED EYES - ALWAYS SOMETHING THERE TO REMIND ME (LIVE)
Naked Eyes "Always Something There To Remind Me", Lost 80's Live, Salt Lake City, 9/7/2017
Naked Eyes - Always Something There To Remind Me Live 2021
BURNING BRIDGES ~ SPECIAL EDITION
- アーティスト: NAKED EYES
- 出版社/メーカー: CHERRY POP
- 発売日: 2012/11/05
- メディア: CD
FUEL FOR THE FIRE: EXPANDED EDITION
- アーティスト: NAKED EYES
- 出版社/メーカー: CHERRY POP
- 発売日: 2013/08/26
- メディア: CD
Promises Promises: Very Best of
- アーティスト: Naked Eyes
- 出版社/メーカー: Capitol
- 発売日: 1994/05/17
- メディア: CD
Cardiffians / Devine & Statton カーディフからの手紙 [クレプスキュール]
アリソン・スタットンとイアン・デヴァインによるデュオ、デヴァイン&スタットンのセカンド・アルバム。アリソンのヴォーカルと、イアンのソングライティング&アレンジの巧さがしっかりかみ合った名作。これがデヴァイン&スタットンのラスト・アルバムとなってしまったのは残念。
前作よりもゴージャスなサウンドになっているため、ヤング・マーブル・ジャイアンツ以来のシンプルさを好むファンにはちょっと「賑やかすぎる(騒々しい)」かもしれない。でも私としては、こうしたバンド・スタイルの演奏も良いと思う。クールだけど優しいアリソンのヴォーカルがよく生かされており、中でもオープニングの「ハイダウェイ」は、ピアノとホーンがちょっとノスタルジックで、爽やかな風のような名曲。クリスタル・ゲイルの1977年の大ヒット曲「Don't It Make My Brown Eyes Blue」(瞳のささやき)のカヴァーも良い。再発盤はオリジナルの12曲に加えて、「ハイダウェイ」の別ヴァージョンや「瞳のささやき」の12インチ・ヴァージョンを含む5曲のボーナス・トラックが収録されている(うち2曲はシングルにも収録されなかった未発表トラック)。それまでCDシングルでしか聴くことができなかった「ハイダウェイ」の別ヴァージョンは、クイーカやマリンバなどが加わり、ラテン・フレイバーあふれる心地よい仕上がりになっているが、どちらかというと、ピアノで始まるオリジナルの方が好きかな。
Devine & Statton - Hideaway
Hideaway (Version)
前作でニュー・オーダーの曲をカヴァーした縁か、ピーター・フックがベースで参加している。
Devine & Statton - Enough is enough
アリソンが生まれた港町カーディフCardiffはウェールズの首府(スコットランドのエジンバラと同様)で、俳優のヨアン・グリフィズやライド~オアシスのアンディ・ベルもこの街の出身。原題のCardiffansとは、「カーディフのファン」という意味だろうか(カーディフを本拠とするサッカーチーム、カーディフ・シティFCのファンもCardiffansと呼ぶらしい)。前作のタイトルは『The Prince of Wales』(邦題:遙かなるウェールズ)だったが、アリソンの故郷愛から考えると称号としてのPrince of Walesではく、イングランドに征服される前=ネイティヴのプリンス・オブ・ウェールズのことだろう。
Ashes Are Burning / Renaissance 燃ゆる灰 [プログレ系]
結成50周年ということで、2019年には旧譜のリマスタード&イクスパンディド・エディションがリリースされたルネッサンス(ただし1969年に結成されたのはジェーン・レルフの方のルネッサンス)。数多い作品群の中でもルネッサンスの最高傑作にして、英国ロック史上に燦然と輝く名作が、新生ルネッサンスの2作目(ルネッサンスとしては4作目)に当たる『燃ゆる灰』である。
01. Can You Understand
02. Let It Grow
03. On The Frontier
04. Carpet Of The Sun
05. At The Harbour
06. Ashes Are Burning
演奏の中心はジョン・タウトによるクラシカルでリリカルなピアノだが、このバンドの魅力は彼のピアノと女性ヴォーカリスト、アニー・ハズラムによるヴォーカルとの美しいコンビネーションにある。アニーの伸びやかで澄んだハイトーン・ヴォーカルは、優しい声質ながらちょっと哀感をも感じさせるが、なかでもラストの11分にわたるタイトル・ナンバーは、その魅力が十分に発揮された一曲。静かなピアノで始まりアニー・ハズラムのクルスタル・ヴォイスに導かれて徐々にドラマティックに展開していき、後半部ではヴォーカルに被ってアンディ・パウエル(ウィッシュボーン・アッシュ)の「泣き」のギターが入ってくる。英国ロックらしい、華麗で格調高く独特の暗さも感じる名作。
オープニング・ナンバー「キャン・ユー・アンダースタンド」におけるストリングスを使った間奏は映画『ドクトル・ジバゴ』のサントラ「Tonya and Yuri Arrive At Varykino」のメロディーが使われている。このため一部のアルバムには「Composed By [Instrumental Section] – Maurice Jarre」と、「Tonya and Yuri Arrive At Varykino」の作曲者であるモーリス・ジャールもクレジットされている。ダンフォードはこのメロディーをパブリックドメインのロシアの民謡だと勘違いしてそのまま使ったらしい。
ヒプノシスがデザインしたこのアルバムのジャケットには二種類のカヴァーがあり、構成はそっくりだが、UK盤ではアニーが微笑んでいるのにたいしてUS盤でのアニーは不機嫌そうに見える。また「渚にて」(At the Harbour)のオリジナルは6分を越える長さの曲だったが、一時は3分に編集された長さになっていた。これは同曲にドビュッシーの「前奏曲」が使われていたためで、著作権の変更により一時的に引用不可となっていたからである。
私が最初に買った日本盤(TOCP-6800)はオビに「世界初CD化」と書かれており、「不機嫌ジャケ」+「ドビュッシーなし」だったが、次に買ったドイツ盤(REP 4575-WY)は、「微笑ジャケ」+「ドビュッシーあり」、そして2001年にリリースされた日本盤(TOCP-65593)は「微笑ジャケ」+「ドビュッシーありなし両方(「なし」はボーナス・トラック扱い)」になっていた。2019年にリリースされた「50周年記念」には、74年にBBCで放送された3曲「Can You Understand」「 Let It Grow」「Ashes Are Burning」がボーナス・トラックとして収録されている。
「太陽のカーペット」にはジェーン・レルフによるデモ・ヴァージョンが存在しており、2枚組CD『ジェーン・レルフ・コンプリート・コレクション』にボーナス・トラックとして収録されているが、実はデモの方が「完全版」である。インナー・スリーヴの歌詞を読みながら聴いた人は気づいたと思うが、アニー版「太陽のカーペット」では「Come along and try, looking into ways of giving.」で始まる2番の部分がカットされている。一方、ジェーン版ではこの部分も歌われている。
01. Can You Understand
02. Let It Grow
03. On The Frontier
04. Carpet Of The Sun
05. At The Harbour
06. Ashes Are Burning
演奏の中心はジョン・タウトによるクラシカルでリリカルなピアノだが、このバンドの魅力は彼のピアノと女性ヴォーカリスト、アニー・ハズラムによるヴォーカルとの美しいコンビネーションにある。アニーの伸びやかで澄んだハイトーン・ヴォーカルは、優しい声質ながらちょっと哀感をも感じさせるが、なかでもラストの11分にわたるタイトル・ナンバーは、その魅力が十分に発揮された一曲。静かなピアノで始まりアニー・ハズラムのクルスタル・ヴォイスに導かれて徐々にドラマティックに展開していき、後半部ではヴォーカルに被ってアンディ・パウエル(ウィッシュボーン・アッシュ)の「泣き」のギターが入ってくる。英国ロックらしい、華麗で格調高く独特の暗さも感じる名作。
RENAISSANCE - Ashes Are Burning [LIVE IN STUDIO] 1974 RARE
オープニング・ナンバー「キャン・ユー・アンダースタンド」におけるストリングスを使った間奏は映画『ドクトル・ジバゴ』のサントラ「Tonya and Yuri Arrive At Varykino」のメロディーが使われている。このため一部のアルバムには「Composed By [Instrumental Section] – Maurice Jarre」と、「Tonya and Yuri Arrive At Varykino」の作曲者であるモーリス・ジャールもクレジットされている。ダンフォードはこのメロディーをパブリックドメインのロシアの民謡だと勘違いしてそのまま使ったらしい。
Tonya and Yuri Arrive At Varykino
ヒプノシスがデザインしたこのアルバムのジャケットには二種類のカヴァーがあり、構成はそっくりだが、UK盤ではアニーが微笑んでいるのにたいしてUS盤でのアニーは不機嫌そうに見える。また「渚にて」(At the Harbour)のオリジナルは6分を越える長さの曲だったが、一時は3分に編集された長さになっていた。これは同曲にドビュッシーの「前奏曲」が使われていたためで、著作権の変更により一時的に引用不可となっていたからである。
私が最初に買った日本盤(TOCP-6800)はオビに「世界初CD化」と書かれており、「不機嫌ジャケ」+「ドビュッシーなし」だったが、次に買ったドイツ盤(REP 4575-WY)は、「微笑ジャケ」+「ドビュッシーあり」、そして2001年にリリースされた日本盤(TOCP-65593)は「微笑ジャケ」+「ドビュッシーありなし両方(「なし」はボーナス・トラック扱い)」になっていた。2019年にリリースされた「50周年記念」には、74年にBBCで放送された3曲「Can You Understand」「 Let It Grow」「Ashes Are Burning」がボーナス・トラックとして収録されている。
「太陽のカーペット」にはジェーン・レルフによるデモ・ヴァージョンが存在しており、2枚組CD『ジェーン・レルフ・コンプリート・コレクション』にボーナス・トラックとして収録されているが、実はデモの方が「完全版」である。インナー・スリーヴの歌詞を読みながら聴いた人は気づいたと思うが、アニー版「太陽のカーペット」では「Come along and try, looking into ways of giving.」で始まる2番の部分がカットされている。一方、ジェーン版ではこの部分も歌われている。
Renaissance - Carpet of the Sun
Carpet of the Sun (feat. Renaissance) · Jane Relf
燃ゆる灰:50thアニヴァーサリー・ライヴ・イン・コンサート (2CD+DVD+Blu-ray)
- アーティスト: ルネッサンス
- 出版社/メーカー: DISK UNION
- 発売日: 2021/06/19
- メディア: CD
Pauline Murray & The Invisible Girls [クレプスキュール]
元ペネトレーションPenetrationの女性ヴォーカル、ポーリン・マーレイが、ファクトリー・レコードのインヴィジブル・ガールズと組んだ唯一の作品。オリジナルのリリースは1980年で、当時の日本盤の邦題は『夢の恋人』というなかなか恥ずかしいタイトルだった(ジャケットにはThe Invisible Girlsの名前は消えており、ポーリン・マーレイのソロ作というプロモーションであった)。83年にリリース元のRSOが消滅して廃盤となり、90年代にほとんど自主制作のような形(ポーリーンが自前で立ち上げたレーベルPolestarから)でリイシューされたがこれもすぐに廃盤となり、ようやく2014年にクレプスキュールから2枚組としてリイシューされた。ポップだけど影があるダーク・ポップで、ポスト・パンクの隠れた名盤。この作品がリリースされた1980年はイアン・カーティスが自ら命を絶った年であり、レコーディングは彼の死の直後に行われた。ポーリン自身もインタビューで述べているが、イアンの死がもたらしたとも思われる不穏な雰囲気も感じられる作品だ。
Pauline Murray & The Invisible Girls - Dream Sequence
Pauline Murray & The Invisible Girls - Mr X (1980)
Pauline Murray and the Invisible Girls Judgement Day
イギー&ザ・ストゥージズの曲名に由来するペネトレーションの結成は1976年というから、結構早い。1956年生まれのポーリン・マーレーは、このとき18歳。結成してまもなくストラングラーズのサポートや、ビリー・アイドルのジェネレーションX、バズコックスらとの共演で腕を上げていったというので、結構なパンク・バンドである。ヴァージョンからリリースされたファースト・アルバム『ムーヴィング・ターゲッツ(Moving Targets)』(1978)とセカンド『狂喜の群衆(Coming Up For Air)』(1979)は日本盤もリリースされ、雑誌『ミュージック・ライフ』にも大きな広告が出ていたりNHKのFMでも曲が流れていたので、そこそこにプロモートはされていたのだろうと思う。
セカンド・アルバムのリリース後まもなくペネトレーションは解散し、ポーリンがソロ・デビューに際してプロデュースを依頼したのがファクトリー・レコードのマーティン・ハネット。このためマーティン・ハネットのバンド、インヴィジブル・ガールがバックを努めることになったのだが、このバンドはなかなか面白い。基本メンバーはマーティン・ハネット(ベース)とスティーヴ・ホプキンス(キーボード)の2人で、バンドの初期には10CC~ジェスロ・タル~キャメル~カラーフィールド~アイシクル・ワークスの腕利きドラマー、ポール・バージェスも在籍していた。このアルバムではマーティン・ハネットはプ゚ロデュース業に専念し、ベースは元ペネトレイションのロバート・ブラミア、ドラムはバズコックスのジョン・マー、そしてギターはドゥルッティ・コラムのヴィニ・ライリーである。一部の曲にはデッド・オア・アライヴ~シスターズ・オヴ・マーシー~ミッションのウェイン・ハッセイもギターで参加しており、最終シングル「SearchingFor Heaven 」ではニュー・オーダーのバーナード・サムナーがギターを弾いているという超豪華なメンツだ。クレジットされているデイヴ・ロウボサムDave Rowbothamは元ドゥルティ・コラムのメンバーで、ハッピー・マンデーズの曲「カウボーイ・デイヴ」は彼の死について歌った曲だという。
ジャケットのデザインは、ピーター・サヴィルとマイク・オールドフィールドの『チューブラー・ベルズ』などジャケットをデザインしたトレヴァー・キーTrevor Key 。ほとんどファクトリー・オールスターズ。
ポーリン・マーレーはこのアルバムについて色々と面白いことを述べている。
・このアルバムのマスターテープは自分たちが持っていたので何度かリリースしようと試み、ベラ・ユニオンのサイモン・レイモンドにも話を持ち込んだものの実現しなかった。ありがたいことにクレプスキュールのジェイムス・ナイスからリイシューの申し出があったがマスターテープはかなりの傷みがあったため、結局自分が持っていたシールドの日本盤LPをマスターに使った。・
・マーティン・ハネットは何ひとつ指示しなかった。ただバックトラックを流して、自分はそれに合わせて歌うだけ。トラックを流して自分が歌う、その繰り返し。これが延々と10回くらい続き、うんざりした。
・ウェイン・ハッセイも同じことを言ってた。彼が何度演奏してもマーティンからは何も指示がなく、たまりかねてコントロール・ルームに行ったら、そこには一人マーティンが寝ていて、リピート設定されたテープが流れていた。
ポーリン・マーレイのインタビュー
https://thequietus.com/articles/16998-pauline-murray-invisible-girls-interview
https://rockshotmagazine.com/interview-pauline-murray-invisible-girl/
Pauline Murray And The Invisible Girls
- アーティスト: Pauline Murray
- 出版社/メーカー: Les Disques Du Crepuscule
- 発売日: 2014/10/06
- メディア: CD