Best of Tour 72 / Pink Floyd 72年音源の最高峰 『狂気』プロトタイプ [ピンク・フロイド]
ライヴはアーティストのニュー・アルバムのリリースにあわせて行われることが多く、「○○(アルバムの名前)ツアー」と呼ばれたりもする。演奏される曲は観客が知っているというのが前提で、だからこそ盛り上がるわけだ。しかし70年代のピンク・フロイドはリリース前の新しい曲をステージで演奏し、曲に少しずつ修正を加えていくという、今思うととんでもないことをやっていた。まさに「プログレッシヴ」だ。
1973年3月にリリースされた『狂気』のレコーディングは、前年の72年6月から73年の1月まで断続的に行われているが、彼らがレコーディングに取りかかる前、72年3月に行われた日本公演でも『狂気』が演奏されている。71年の箱根アフロディーテでの「エコーズ」も同様にリリース前の演奏だったが、まったく知らない曲を聴いた当時の日本のファンはどう感じたのだろう。
フロイドの72年の音源は、「狂気」のプロトタイプはどうだったのかを確かめるという点で興味深い。これら72年の音源で最も有名なのは、2月20日のロンドン、レインボー・シアター公演だろう。同会場における4日連続公演の最終日で、1月からスタートした英国ツアーの最終日でもあるが、この日の公演には「Derek・A」「Steve・B」「The John Baxter」という3つのソースがあり、それぞれ一長一短....というのは、まるでツェッペリンの『ブルーベリーヒル』や『バッジホルダーズ』みたい。
①「Derek・A」音源 Recorder1
最も音がよいソースで、最初にアナログ盤『The Best Of Tour '72』としてリリースされた。オーディエンスだが、「BBCで放送された音源」と言われたほど音が良い。「BBC伝説」には尾ひれがつき、1982年に邦訳が出たマイルズ編『ピンク・フロイド』(CBSソニー出版)では「2月17日の公演」とあるが、「17日のステージをBBCが収録して、20日に放送した」などという言説まで流布している(コピー盤『IN CELEBRATION OF THE COMET』の日付は17日になっている)。残念ながらこのソースには所々に欠落があり、さらにステージ前半の「狂気パート」だけの音源である。そのため、幸か不幸か「多くの人はフロイドの最新公式アルバムだと思って買った」そうである(マイルズ編『ピンク・フロイド』)。今でもヤフオクやメルカリでよく見かけるTSPの『The Best Of Tour '72』や、例の「Alive The Live」シリーズの『ライヴ・イン・ロンドン 1972』(の前半)もこのソースを使っている。30年ほど前、雑誌『GOLD WAX』におけるTSP盤の紹介記事「スクラッチ・ノイズなしのクリアー・サウンド。とても良質な作品といえる。」を読んで私も購入し(確か西新宿のRockawayだった)、感動したものである。
②「Steve・B」 Recorder2
「Derek・A」より音は落ちるものの、収録時間は長い。
③「The John Baxter」音源 Recorde3
ステージ完全収録ながら、3つの中では音質が最も劣る。
フロイド専門レーベルのSIGMAからは、以下の3アイテムがリリースされている。
①Sigma180 The Best Of Tour 72 1CD (Derek・A)
https://www.giginjapan.com/pink-floyd-72best-of-tour-sigma/
②Sigma196 Rainbow Theatre 1972 Final Night 4CD(The John Baxter+Steve・B)
https://www.navyblue-sound.jp/product/971
③Sigma246 The Best Of Tour 72 Definitive Edition 2CD
https://www.giginjapan.com/pink-floyd-best-of-tour-72-definitive-edition/
①はオリジナルで、音は良いものの前半だけ。②は聞き比べができるアイテムだが、「Derek・A」を押さえてこそ楽しめる。③は3つのソースを駆使して、ステージ全体を再現したもの。当然ながら③がベスト。
1973年3月にリリースされた『狂気』のレコーディングは、前年の72年6月から73年の1月まで断続的に行われているが、彼らがレコーディングに取りかかる前、72年3月に行われた日本公演でも『狂気』が演奏されている。71年の箱根アフロディーテでの「エコーズ」も同様にリリース前の演奏だったが、まったく知らない曲を聴いた当時の日本のファンはどう感じたのだろう。
フロイドの72年の音源は、「狂気」のプロトタイプはどうだったのかを確かめるという点で興味深い。これら72年の音源で最も有名なのは、2月20日のロンドン、レインボー・シアター公演だろう。同会場における4日連続公演の最終日で、1月からスタートした英国ツアーの最終日でもあるが、この日の公演には「Derek・A」「Steve・B」「The John Baxter」という3つのソースがあり、それぞれ一長一短....というのは、まるでツェッペリンの『ブルーベリーヒル』や『バッジホルダーズ』みたい。
①「Derek・A」音源 Recorder1
最も音がよいソースで、最初にアナログ盤『The Best Of Tour '72』としてリリースされた。オーディエンスだが、「BBCで放送された音源」と言われたほど音が良い。「BBC伝説」には尾ひれがつき、1982年に邦訳が出たマイルズ編『ピンク・フロイド』(CBSソニー出版)では「2月17日の公演」とあるが、「17日のステージをBBCが収録して、20日に放送した」などという言説まで流布している(コピー盤『IN CELEBRATION OF THE COMET』の日付は17日になっている)。残念ながらこのソースには所々に欠落があり、さらにステージ前半の「狂気パート」だけの音源である。そのため、幸か不幸か「多くの人はフロイドの最新公式アルバムだと思って買った」そうである(マイルズ編『ピンク・フロイド』)。今でもヤフオクやメルカリでよく見かけるTSPの『The Best Of Tour '72』や、例の「Alive The Live」シリーズの『ライヴ・イン・ロンドン 1972』(の前半)もこのソースを使っている。30年ほど前、雑誌『GOLD WAX』におけるTSP盤の紹介記事「スクラッチ・ノイズなしのクリアー・サウンド。とても良質な作品といえる。」を読んで私も購入し(確か西新宿のRockawayだった)、感動したものである。
②「Steve・B」 Recorder2
「Derek・A」より音は落ちるものの、収録時間は長い。
③「The John Baxter」音源 Recorde3
ステージ完全収録ながら、3つの中では音質が最も劣る。
フロイド専門レーベルのSIGMAからは、以下の3アイテムがリリースされている。
①Sigma180 The Best Of Tour 72 1CD (Derek・A)
https://www.giginjapan.com/pink-floyd-72best-of-tour-sigma/
②Sigma196 Rainbow Theatre 1972 Final Night 4CD(The John Baxter+Steve・B)
https://www.navyblue-sound.jp/product/971
③Sigma246 The Best Of Tour 72 Definitive Edition 2CD
https://www.giginjapan.com/pink-floyd-best-of-tour-72-definitive-edition/
①はオリジナルで、音は良いものの前半だけ。②は聞き比べができるアイテムだが、「Derek・A」を押さえてこそ楽しめる。③は3つのソースを駆使して、ステージ全体を再現したもの。当然ながら③がベスト。
LIVE - the best Of Tour72 Pink Floyd
(「Derek・A」音源:KDBO製アナログ盤より)
(「Derek・A」音源:KDBO製アナログ盤より)
Pink Floyd - 20th February 1972 (Live at Rainbow Theatre) - Definitive Edition
(使用されたソースが変わった補填箇所がわかるチャプター分割付き)
(使用されたソースが変わった補填箇所がわかるチャプター分割付き)
Formica Blues / MONO モノ [コクトー・トゥインズ]
ヴァイオレット・インディアナに参加する前、シボーン・デ・マーレはモノ(Mono)という男女二人のユニットを組んでおり、唯一のアルバム『フォーマイカ・ブルース』(1997年)は、日本盤もリリースされた。クラブ・ミュージックというふれこみだったが、BGMとしても使える都会的で洗練されたサウンドで、楽曲のクオリティも高い。モノのブレイクビーツ的な部分をロビンのギターに置き換えたのが、ヴァイオレット・インデァイナという感じだ。デヴィッド・シルヴィアンのソロ作品のような9曲目「ペンギン・フロイド」をはじめ、全体的にクラブ・ミュージックという感じは強くない。シボーンの父親は、クリフ・リチャードとの作品で有名なシャドウズのドラマーだったという。一方のマーティン・ヴァーゴは、ビヨークの初ソロ『デビュー』(93年)や、クライミー&フィッシャーのサイモン・フィッシャーの初ソロ『ソウル・インスピレイション』(92年)などにミキサーやキボード・プレイヤーとしてクレジットされている。
『フォーマイカ・ブルース』の日本盤はジャケ違いで、3曲のボーナス・トラックが収録されている。英国盤にはリミックス集を含む2枚組もあるが、オマケCDのリミックス集はあまりイイとは感じられない。96年にリリースされたシングル「Life In Mono」がロバート・デ・ニーロらが出演した映画『大いなる遺産』(1998)のサントラとして98年に再発され、ビルボードのナショナル・チャートで70位まで上がった。
『フォーマイカ・ブルース』の日本盤はジャケ違いで、3曲のボーナス・トラックが収録されている。英国盤にはリミックス集を含む2枚組もあるが、オマケCDのリミックス集はあまりイイとは感じられない。96年にリリースされたシングル「Life In Mono」がロバート・デ・ニーロらが出演した映画『大いなる遺産』(1998)のサントラとして98年に再発され、ビルボードのナショナル・チャートで70位まで上がった。
mono - silicone
Mono • Life in Mono
Mono - Penguin Freud
MONO「Life In Mono」を使ったローヴァーのCM
Formica Blues -Hq/Insert- [Analog]
- アーティスト: Mono
- 出版社/メーカー: Music on Vinyl
- 発売日: 2021/12/03
- メディア: LP Record
Drowning Craze サイモン・レイモンドが最初に参加したバンド [コクトー・トゥインズ]
サイモン・レイモンドのミュージシャンとしてのキャリアは、1980年に結成されたDrowning Crazeというバンドに始まる。82年にドローイング・クレイズが解散した後は、コクトー・トゥインズのメンバー(1983~1997年)として活動し、バンドの末期には同じくコクトー・トゥインズのメンバーだったロビン・ガスリーとともにレコード・レーベルのベラ・ユニオンを立ち上げた。コクトー解散後は1998年に最初のソロ・アルバム『ブレイブ・サムワン・エルズ』をリリースしたものの、その後はプロデュース業やベラ・ユニオンの経営がメインで、ミュージシャンとしての目立った活動はしばらく見られなかった。しかし2009年にはアメリカ出身のヴォーカリスト、ステファニー・ドーセンとともにスノーバードの名義でアルバムを1枚リリースした。2015年に元ディフ・ジュズ~ジーザス&メリー・チェインのドラマー、リチャード・トーマスとともに新プロジェクト、ロスト・ホライゾンズをスタートさせ、2017年にファースト・アルバム『Ojalá』をリリースした。ベラ・ユニオンの経営とプロデュース業で多忙を極めているようだが、盟友とのユニットをサイモン自身も気に入っているようで、昨年にはロスト・ホライゾンズ2枚目のアルバムとして『In Quiet Moments』がリリースされた。
【Cocteautwins.com におけるサイモン・レイモンドのバイオ】
https://cocteautwins.com/simon-raymonde.html
サイモンが最初に参加したバンド、ドローイング・クレイズはもともとスリー・ピースのインストゥメンタルのバンドで、彼はベース担当だった。バンドのデモテープがインディー・レーベルSITUATION TWOの創設者ピーター・ケント(4ADの共同設立者でもある)の耳にとまったことから、彼の紹介でアメリカ出身のヴォーカリスト、アンジェラ・イエーガーが加入し、SITUATION TWOから3枚のシングルをリリースした。アンジェラは最初のシングルをリリース後にバンドを去ったため、その後のシングルではヴォーカルが変わっている。サイモンはインタビューで、当時はWild Swans, Delta 5, Pop Group, A Certain Ratio, 23 Skidoo, the Fire Engines 、Public Image Ltdなどが好きだったと語っているが、ノイジーなギターと重いベースはジョイ・ディヴィジョンからの影響が強く感じられ、ダーク系ポスト・パンク~ニュー・ウェーヴのサウンドになっている。
【サイモン・レイモンドがドローイング・クレイズについて語っているインタビュー】
http://www.godisinthetvzine.co.uk/2015/07/16/interview-simon-raymonde-2/
【ドローイング・クレイズのバイオ(ベラ・ユニオン公式サイト)】
https://bellaunion.com/artists/the-drowning-craze/
SITUATION TWOからリリースされたシングルと、ジョン・ピールの番組をまとめたコンピレーション『Singles '81 / '82』が、ベラ・ユニオンからリリースされている。
『Singles '81 / '82』
01. Storage Case
02. Damp Bones
03. Trance
04. I Love The Fjords
05. In The Heat
06. Replay
07 . He Was
08 . Heat
09 . Keep Fit
10 . Out Of Order
01・02 ファースト・シングル「Storage Case」(81年)より
03・04 セカンド・シングル「Trance」(81年)より
05・06 サード・シングル「Heat / Replays」(82年)より
07~10 ジョン・ピール・セッションより
【ベラ・ユニオン公式サイトにおけるドローイング・クレイズ】
https://bellaunion.com/artists/the-drowning-craze/
【Cocteautwins.com におけるサイモン・レイモンドのバイオ】
https://cocteautwins.com/simon-raymonde.html
サイモンが最初に参加したバンド、ドローイング・クレイズはもともとスリー・ピースのインストゥメンタルのバンドで、彼はベース担当だった。バンドのデモテープがインディー・レーベルSITUATION TWOの創設者ピーター・ケント(4ADの共同設立者でもある)の耳にとまったことから、彼の紹介でアメリカ出身のヴォーカリスト、アンジェラ・イエーガーが加入し、SITUATION TWOから3枚のシングルをリリースした。アンジェラは最初のシングルをリリース後にバンドを去ったため、その後のシングルではヴォーカルが変わっている。サイモンはインタビューで、当時はWild Swans, Delta 5, Pop Group, A Certain Ratio, 23 Skidoo, the Fire Engines 、Public Image Ltdなどが好きだったと語っているが、ノイジーなギターと重いベースはジョイ・ディヴィジョンからの影響が強く感じられ、ダーク系ポスト・パンク~ニュー・ウェーヴのサウンドになっている。
【サイモン・レイモンドがドローイング・クレイズについて語っているインタビュー】
http://www.godisinthetvzine.co.uk/2015/07/16/interview-simon-raymonde-2/
【ドローイング・クレイズのバイオ(ベラ・ユニオン公式サイト)】
https://bellaunion.com/artists/the-drowning-craze/
SITUATION TWOからリリースされたシングルと、ジョン・ピールの番組をまとめたコンピレーション『Singles '81 / '82』が、ベラ・ユニオンからリリースされている。
『Singles '81 / '82』
01. Storage Case
02. Damp Bones
03. Trance
04. I Love The Fjords
05. In The Heat
06. Replay
07 . He Was
08 . Heat
09 . Keep Fit
10 . Out Of Order
01・02 ファースト・シングル「Storage Case」(81年)より
03・04 セカンド・シングル「Trance」(81年)より
05・06 サード・シングル「Heat / Replays」(82年)より
07~10 ジョン・ピール・セッションより
【ベラ・ユニオン公式サイトにおけるドローイング・クレイズ】
https://bellaunion.com/artists/the-drowning-craze/
The Drowning Craze - Storage Case
Trance
Violet Indiana ヴァイオレット・インディアナ [コクトー・トゥインズ]
1997年にコクトー・トゥインズが解散した後、ロビン・ガスリーが元モノの女性ヴォーカリストのシボーン・デ・マーレとともに立ち上げたユニットがヴァイオレット・インディアナ。コクトー・トゥインズ解散後、ロビンが継続的な活動を展開したユニットはヴァイオレット・インデァイナだけ。シボーン嬢のセクシーなウィスパー・ヴォイスとロビンの幻想的なギターの組み合わせは、大人のための夜のミュージックという趣である。ソフトで耳当たりもよく、夢見るように眠りたいときに聴く音楽。「ドリーム・ポップ」とは、ヴァイオレット・インディアナの音楽を指す言葉のような気がする。
活動は2000~2004年と比較的短期間で、この間にベラ・ユニオンから2枚のアルバムと4枚のシングル、1枚の編集盤をリリースしているが、日本盤はリリースされなかった。そのせいか、日本ではこのプロジェクトの知名度は低く、ディスクユニオンではシングル1枚500円以下で売られている。ただし、4枚目のシングル「Beyond The Furr」は結構レアで、ebayでも強気な価格差設定になっており、Discogsのマーケットプレイスでもこのシングルはあまり見かけない(私はヤフオクで2400円で購入した)。
デビュー・アルバム『ルーレット』(2000)のオリジナルは11曲入りだが、米国盤は「Busted」(デビュー・シングル「Choke」)を加えた全12曲入りとなっており、さらに「Purr La Perla」(これも「Choke」に収録)のビデオを収録したエンハンスト仕様。その他、2枚目のシングル「Special」には「Poppy」、3枚目のシングル「Killer Eyes」にはタイトル・ナンバーのPVが収録されている。
2001年にリリースされたコンピレーション『Casino』は、「Choke」「Special」「Killer Eyes」の3枚のシングルを集めた編集盤で、アメリカのみのリリース。初出の曲が3曲収録されており、そのうち1曲はジャック・ブレルの「行かないで」のカヴァー。ボウイもブレルの「アムステルダム」や「マイ・デス」をカヴァーしていた。
活動は2000~2004年と比較的短期間で、この間にベラ・ユニオンから2枚のアルバムと4枚のシングル、1枚の編集盤をリリースしているが、日本盤はリリースされなかった。そのせいか、日本ではこのプロジェクトの知名度は低く、ディスクユニオンではシングル1枚500円以下で売られている。ただし、4枚目のシングル「Beyond The Furr」は結構レアで、ebayでも強気な価格差設定になっており、Discogsのマーケットプレイスでもこのシングルはあまり見かけない(私はヤフオクで2400円で購入した)。
デビュー・アルバム『ルーレット』(2000)のオリジナルは11曲入りだが、米国盤は「Busted」(デビュー・シングル「Choke」)を加えた全12曲入りとなっており、さらに「Purr La Perla」(これも「Choke」に収録)のビデオを収録したエンハンスト仕様。その他、2枚目のシングル「Special」には「Poppy」、3枚目のシングル「Killer Eyes」にはタイトル・ナンバーのPVが収録されている。
Violet Indiana - Purr la Perla
Violet Indiana - Poppy
Violet Indiana - Killer eyes
2001年にリリースされたコンピレーション『Casino』は、「Choke」「Special」「Killer Eyes」の3枚のシングルを集めた編集盤で、アメリカのみのリリース。初出の曲が3曲収録されており、そのうち1曲はジャック・ブレルの「行かないで」のカヴァー。ボウイもブレルの「アムステルダム」や「マイ・デス」をカヴァーしていた。
Blame Someone Else / Simon Raymonde サイモン・レイモンド [コクトー・トゥインズ]
Wikipediaによればサイモン・レイモンド(1962年生まれ)がコクトー・トゥインズに加入したのは1983年のことだが、彼の名前が最初にクレジットされたのは1984年にリリースされたシングル「The Spangle Make」である。最初にこのシングル曲を聴いたとき、それまでの「不安」「ノイジー」「サイケデリック」というバンドのイメージが、「幻想的」「浮遊感」というイメージに変わったのでおおっと思ったものである。彼が関わった作品を聴くと、「メロディアス」「時々アコースティック」「センチメンタル」「キラキラした浮遊感」なサウンド・プロダクションに耳を奪われる。コクトー・トゥインズが多くの人に受けられたのは、彼の功績だと思う。ロビン・ガスリーとサイモン・レイモンドが設立したレーベル、ベラ・ユニオンの記念すべき番号BELLACD1は、サイモンのファースト・ソロ・アルバム『Blame Someone Else』であった。
サイモン・レイモンドのファースト・ソロ・アルバム『ブレイム・サムワン・エルス』がリリースされたのは1997年10月のこと。コクトー・トゥインズの解散が発表されたのも1997年なので、このアルバムがレコーディングされたとき、バンドは事実上解散状態だったのだろう。
『ブレイム・サムワン・エルズ』で最も目立つのは、全曲でサイモン自身がヴォーカルを担当している点。その後のスノーバードやロスト・ホライゾンズでは他人にヴォーカルを任せているが、控えめなウィスパーヴォイスはなかなかよい。また3曲のカヴァーの選曲が、スコット・ウォーカーの「雨の日」、映画俳優ロバート・ミッチャムの「イン・マイ・プレイス」、テレヴィジョンの「デイズ」というのがエグい。特に、もともとカントリー・ナンバーの「イン・マイ・プレイス」をリズム重視にアレンジしたセンスには脱帽。ロビン・ガスリーが参加した「マッスル・ウォント」や、サイモンのベースがいい感じの「ワーシップ・ミー」(エリザベス・フレイザーも参加)などコクトー・トゥインズ的なナンバーもあるが、全体的にはアコースティックな感覚と優しいメロディー、ちょっと切ない感じのサイモンのヴォーカルがうまくマッチした作品である。
サイモン自身がヴォーカルをとり、スコット・ウォーカーやブライアント夫妻の曲を取り上げているのは、この作品が彼の父親であるアイヴァー・レイモンド(の思い出)に捧げられたアルバムだからだろう。アルバム1曲目が「It's A Family Thing」というタイトルなのも、そのせいかもしれない。ベラ・ユニオンから『Paradise (The Sound Of Ivor Raymonde)』・『Odyssey (The Sound Of Ivor Raymonde Vol II)』という2枚のCDがリリースされているが、曲目をみるとダスティ・スプリングフィールドやトム・ジョーンズ、ヘレン・シャピロにデヴィッド・ボウイなどの曲が収録されており、ちょっとビックリ。歌詞の内容からすると、「マッスル・ウォント」は父親との関係を歌った曲だと思われ、PVにも父親らしき人物の写真が出てくる。日本盤についてる日本語の訳詞、父親である"You"を「君」と訳すのはマズいと思う。
ビクターから日本盤もリリースされたが、ジャケット・デザインがまったく違っている上に3曲のボーナス・トラックを収録というビックリ仕様だった。オリジナルのジャケット・デザインはおそらく蟹だと思うが、Karen Raymondeというクレジットがある(現在は離婚しているサイモンの元妻)。日本盤にはデザイナー・クレジットは見あたらないが、印刷・装丁は日本盤の方が手が込んでいる。日本盤のデザインはスマートな印象だが、オリジナルのサイケなデザインも捨てがたい。同時リリースのCDシングルにも、日本盤に収録されていた3曲のボーナス・トラックは収録されておらず、出所不明。CDシングルのジャケット・デザインは緑色の蟹である。
サイモン・レイモンドのインタビュー(2017年)
「ベラ・ユニオン主宰サイモン・レイモンドが語る、ビーチ・ハウスらレーベルを象徴する10枚とコクトー・ツインズへの甘苦き想い」
https://mikiki.tokyo.jp/articles/-/16517
サイモン・レイモンドのファースト・ソロ・アルバム『ブレイム・サムワン・エルス』がリリースされたのは1997年10月のこと。コクトー・トゥインズの解散が発表されたのも1997年なので、このアルバムがレコーディングされたとき、バンドは事実上解散状態だったのだろう。
『ブレイム・サムワン・エルズ』で最も目立つのは、全曲でサイモン自身がヴォーカルを担当している点。その後のスノーバードやロスト・ホライゾンズでは他人にヴォーカルを任せているが、控えめなウィスパーヴォイスはなかなかよい。また3曲のカヴァーの選曲が、スコット・ウォーカーの「雨の日」、映画俳優ロバート・ミッチャムの「イン・マイ・プレイス」、テレヴィジョンの「デイズ」というのがエグい。特に、もともとカントリー・ナンバーの「イン・マイ・プレイス」をリズム重視にアレンジしたセンスには脱帽。ロビン・ガスリーが参加した「マッスル・ウォント」や、サイモンのベースがいい感じの「ワーシップ・ミー」(エリザベス・フレイザーも参加)などコクトー・トゥインズ的なナンバーもあるが、全体的にはアコースティックな感覚と優しいメロディー、ちょっと切ない感じのサイモンのヴォーカルがうまくマッチした作品である。
サイモン自身がヴォーカルをとり、スコット・ウォーカーやブライアント夫妻の曲を取り上げているのは、この作品が彼の父親であるアイヴァー・レイモンド(の思い出)に捧げられたアルバムだからだろう。アルバム1曲目が「It's A Family Thing」というタイトルなのも、そのせいかもしれない。ベラ・ユニオンから『Paradise (The Sound Of Ivor Raymonde)』・『Odyssey (The Sound Of Ivor Raymonde Vol II)』という2枚のCDがリリースされているが、曲目をみるとダスティ・スプリングフィールドやトム・ジョーンズ、ヘレン・シャピロにデヴィッド・ボウイなどの曲が収録されており、ちょっとビックリ。歌詞の内容からすると、「マッスル・ウォント」は父親との関係を歌った曲だと思われ、PVにも父親らしき人物の写真が出てくる。日本盤についてる日本語の訳詞、父親である"You"を「君」と訳すのはマズいと思う。
Simon Raymonde • Muscle and Want
ビクターから日本盤もリリースされたが、ジャケット・デザインがまったく違っている上に3曲のボーナス・トラックを収録というビックリ仕様だった。オリジナルのジャケット・デザインはおそらく蟹だと思うが、Karen Raymondeというクレジットがある(現在は離婚しているサイモンの元妻)。日本盤にはデザイナー・クレジットは見あたらないが、印刷・装丁は日本盤の方が手が込んでいる。日本盤のデザインはスマートな印象だが、オリジナルのサイケなデザインも捨てがたい。同時リリースのCDシングルにも、日本盤に収録されていた3曲のボーナス・トラックは収録されておらず、出所不明。CDシングルのジャケット・デザインは緑色の蟹である。
サイモン・レイモンドのインタビュー(2017年)
「ベラ・ユニオン主宰サイモン・レイモンドが語る、ビーチ・ハウスらレーベルを象徴する10枚とコクトー・ツインズへの甘苦き想い」
https://mikiki.tokyo.jp/articles/-/16517
Rain Tree Crow レイン・トゥリー・クロウ [デヴィッド・シルヴィアン]
デヴィッド・シルヴィアンの評伝『デヴィッド・シルヴィアン』(クリストファー・ヤング著、邦訳出版は2016年)と、『ミック・カーン自伝』(邦訳出版は2011年)は当然ながら重なる記述が少なくない。二冊を読み比べるのは結構楽しいが、なかでも、『レイン・トゥリー・クロウ』のレコーディングに関する部分は大変面白い。筆法鋭くデヴィッドを批判するミック自身による記述の方が克明で説得力が感じられ、『デヴィッド・シルヴィアン』はデヴィッド自身が書いたものではないがその記述からは『ミック・カーン自伝』への弁明という印象を受ける。
デヴィッド・シルヴィアンによれば、アルバム『レイン・トゥリー・クロウ』は、バンド形態によるインプロヴィゼイションを発展させていった作品だという。そのため完成までにかなりの時間を費やしたことから制作費用も膨れあがり、デヴィッドの持ち出しもかなりあったらしい。『レイン・トゥリー・クロウ』が事実上デヴィッド・シルヴィアンのソロ作品になってしまったのは、経済的な部分を大きく担った彼が主導権を握ったからだろう。ドラムはストイック、ベースに至ってはミック・カーンとはわからないが(彼はフレットレスではなく5弦ベースを使っている)、ミックに関して言うなら、「New Moon at Red Deer Wallow」でのバスクラなどホーン系楽器でのプレイがなかなよい。静謐な中にもイイ意味での緊張感が感じられるのは、ミックが書いている当時のレコーディング状況のなせる業だろうが、元JAPAN組を揃えた必然性は感じられない。
リリース当時の雑誌における新譜紹介では、「見事な傑作」(『ミュージック・マガジン』1991年4月号)とか「正直これ程クオリティの高いものになるとは思っていなかった」(『クロスビート』同)など、おおむね高評価であるが、要は「同窓会的なノリだろうと思って聴いたら、丸ごとデヴィッド・シルヴィアンのソロ作品で、これまで通りのアーティスティックな作品だった」ということである(日本盤のオビや雑誌の広告にも「伝説復活!」という文字が躍っている)。これまでキッチリと作り込んできたデヴィッドが、ホルガー・シューカイとのコラボを経て「即興演奏でつくりあげる」という方法論を選択したことは新しかったのだろうが、完成したのは「安定のデヴィッド・ワールド」な作品であった。
当初、マイケル・ブルック(デヴィッド・シルヴィアンのツアーに同行したカナダ出身のギタリスト)が、次いでデヴィッド・トーンがプロデュースを行う予定だったものの結局二人ともクビになったという。ミックの文章からは、デヴィッド・トーンの降板に対する無念さがにじみ出ている。このアルバムの完成を待たずにデヴィッド・トーンの『DoorX』のレコーディングに参加したミック・カーンは、「正直、同じ時期に進行したこの二つのプロジェクトはいろんな部分で雲泥の差があった。」と述懐している(『ミック・カーン自伝』311㌻)。
デヴィッド・シルヴィアンによれば、アルバム『レイン・トゥリー・クロウ』は、バンド形態によるインプロヴィゼイションを発展させていった作品だという。そのため完成までにかなりの時間を費やしたことから制作費用も膨れあがり、デヴィッドの持ち出しもかなりあったらしい。『レイン・トゥリー・クロウ』が事実上デヴィッド・シルヴィアンのソロ作品になってしまったのは、経済的な部分を大きく担った彼が主導権を握ったからだろう。ドラムはストイック、ベースに至ってはミック・カーンとはわからないが(彼はフレットレスではなく5弦ベースを使っている)、ミックに関して言うなら、「New Moon at Red Deer Wallow」でのバスクラなどホーン系楽器でのプレイがなかなよい。静謐な中にもイイ意味での緊張感が感じられるのは、ミックが書いている当時のレコーディング状況のなせる業だろうが、元JAPAN組を揃えた必然性は感じられない。
リリース当時の雑誌における新譜紹介では、「見事な傑作」(『ミュージック・マガジン』1991年4月号)とか「正直これ程クオリティの高いものになるとは思っていなかった」(『クロスビート』同)など、おおむね高評価であるが、要は「同窓会的なノリだろうと思って聴いたら、丸ごとデヴィッド・シルヴィアンのソロ作品で、これまで通りのアーティスティックな作品だった」ということである(日本盤のオビや雑誌の広告にも「伝説復活!」という文字が躍っている)。これまでキッチリと作り込んできたデヴィッドが、ホルガー・シューカイとのコラボを経て「即興演奏でつくりあげる」という方法論を選択したことは新しかったのだろうが、完成したのは「安定のデヴィッド・ワールド」な作品であった。
Rain Tree Crow - Blackwater
当初、マイケル・ブルック(デヴィッド・シルヴィアンのツアーに同行したカナダ出身のギタリスト)が、次いでデヴィッド・トーンがプロデュースを行う予定だったものの結局二人ともクビになったという。ミックの文章からは、デヴィッド・トーンの降板に対する無念さがにじみ出ている。このアルバムの完成を待たずにデヴィッド・トーンの『DoorX』のレコーディングに参加したミック・カーンは、「正直、同じ時期に進行したこの二つのプロジェクトはいろんな部分で雲泥の差があった。」と述懐している(『ミック・カーン自伝』311㌻)。
デイヴィッド・シルヴィアン (ele-king books)
- 出版社/メーカー: Pヴァイン
- 発売日: 2016/03/24
- メディア: 単行本
White Room / The KLF ビル・ドラモンド [リヴァプールのアーティスト]
たまたま立ち寄った書店で『レコード・コレクターズ』の12月号をちょっとめくってみたら、特集は「ロック史に残る1991年をふり返る」。レイン・トゥリー・クロウにプライマル・スクリーム『スクリーマデリカ』、ディス・モータル・コイルの3枚目、ニルヴァーナ『ネヴァーマインド』、ピクシーズ『世界を騙せ』、マシュー・スウィート『ガールフレンド』など、1991年はけっこうな名盤がリリースされた年だった。
なかでも強いインパクトがあったアルバムが、ビル・ドラモンドとジミー・コーティ(元ブリリアント)によるKLFの『ホワイト・ルーム』だった。ビル・ドラモンドは、伝説のバンド、ビッグ・イン・ジャパンやZooレコードなど、リヴァプールの音楽シーンでは有名人物の一人である。クリエイションからリリースされたビル・ドラモンドのソロ名義のアルバム『ザ・マン』(1986年)はアコースティックな作品であったし、これまでの活動を考えれば、ジュリアン・コープ的なサウンドかなぁ....と思ったらこれが予想を大きくくつがえすサウンド。ラップにロック、レゲエ、ハウスのカッコいい部分だけをミクスチャーしたサウンドは、サンプリングされた歓声ともあいまってレイヴを彷彿とさせる。そして楽曲のクオリティは高く、ソウル・II・ソウルの『Club Classics: Vol. 1』(1989)と並ぶ英国産テクノ・ハウス系ダンス・ミュージックの傑作である。
KLFは奇行でも知られる。
「 KLF、3万4592人分の遺灰が使われたというレンガでピラミッドを建てる計画を発表」https://nme-jp.com/news/64236/
記事中にある「1992年のブリット・アウォーズのアフターパーティーでダミーのマシンガンを発砲」するパフォーマンスと、 「1994年には100万ポンドを燃やし」たパフォーマンスはYoutubeでその様子を見ることができる。
100万ポンドを燃やしてから23年後の2017年8月23日の午前0時23秒から、ビル・ドラモンドとジミー・コーティは「Welcome to the Dark Ages」という3日間にわたるイベントを開催した。NMEのニュースにあった「ザ・ピープルズ・ピラミッド」建設の計画は、このイベント中に発表されたものである。このイベントのドキュメンタリーを見ると、リヴァプールではKLFの人気はいまだに高いようだ。
なかでも強いインパクトがあったアルバムが、ビル・ドラモンドとジミー・コーティ(元ブリリアント)によるKLFの『ホワイト・ルーム』だった。ビル・ドラモンドは、伝説のバンド、ビッグ・イン・ジャパンやZooレコードなど、リヴァプールの音楽シーンでは有名人物の一人である。クリエイションからリリースされたビル・ドラモンドのソロ名義のアルバム『ザ・マン』(1986年)はアコースティックな作品であったし、これまでの活動を考えれば、ジュリアン・コープ的なサウンドかなぁ....と思ったらこれが予想を大きくくつがえすサウンド。ラップにロック、レゲエ、ハウスのカッコいい部分だけをミクスチャーしたサウンドは、サンプリングされた歓声ともあいまってレイヴを彷彿とさせる。そして楽曲のクオリティは高く、ソウル・II・ソウルの『Club Classics: Vol. 1』(1989)と並ぶ英国産テクノ・ハウス系ダンス・ミュージックの傑作である。
The KLF - What Time Is Love? (Live at Trancentral) (Official Video)
The KLF - 3AM Eternal (Live at the S.S.L.) (Official Video)
KLFは奇行でも知られる。
「 KLF、3万4592人分の遺灰が使われたというレンガでピラミッドを建てる計画を発表」https://nme-jp.com/news/64236/
記事中にある「1992年のブリット・アウォーズのアフターパーティーでダミーのマシンガンを発砲」するパフォーマンスと、 「1994年には100万ポンドを燃やし」たパフォーマンスはYoutubeでその様子を見ることができる。
1992年のブリット・アウォーズにおけるアフターパーティでのパフォーマンス
100万ポンドを燃やすKLF
100万ポンドを燃やしてから23年後の2017年8月23日の午前0時23秒から、ビル・ドラモンドとジミー・コーティは「Welcome to the Dark Ages」という3日間にわたるイベントを開催した。NMEのニュースにあった「ザ・ピープルズ・ピラミッド」建設の計画は、このイベント中に発表されたものである。このイベントのドキュメンタリーを見ると、リヴァプールではKLFの人気はいまだに高いようだ。
The Justified Ancients of Mu Mu present 'Welcome To The Dark Ages' in Liverpool
Door X / David Torn デヴィッド・トーン [スーパー・プロジェクト]
デヴィッド・トーンのギター・プレイは変幻自在。無限に広がる大宇宙や大自然の中の夜明け、そして暮れなずむ大都会まで、私のイマジネーションを刺激してくれる。また、時に中近東風、時にヨーロピアンと無国籍風。私の中ではマイク・オールドフィールドと双璧なんだけど、マイクがナチュラル指向で一人で作っていくタイプなのに対して、デヴィッド・トーンはテクノロジーを駆使して、ゲスト・ミュージシャンの良さを引き出すことに長けている。そうしたデヴィッド・トーンの魅力がよく出ているのが、『Door X』(1990年)。前作『Cloud About Mercury』(87年)と並ぶ、私の愛聴盤である。
『Cloud About Mercury』には参加できなかったミック・カーンが参加した本作には、前作に引き続いてビル・ブルーフォードが参加し、安定した作品に仕上がっている。デヴィッド自身のヴォーカル(なかなかよい)をフィーチャーしたブルージーでジャジーな「voodoo chile」(ジミ・ヘンドリクスのカヴァー)や、ミック・カーンとの共作「Lion of Boaz」(ラッセル・ホーバンのファンタジー小説『ボアズ=ヤキンのライオン』にインスパイアされた)など聞き所も多いが、トランペットにクリス・ボッティを起用した「the others」の心地よさは最高(後にクリス・ボッティは、ビル・ブルーフォード、トニー・レヴィン、デヴィッド・トーンともにブルーフォード・レヴィン・アッパー・エクストリミティーズを結成する)。
『ミック・カーン自伝』によれば、元JAPANのメンバーによるレイン・トゥリー・クロウのプロデューサーとしてデヴィッド・トーンにもオファーがあったというが(結局実現しなかった)、このときミック・カーンから「デヴィッド・トーンに似てる」と言われたデヴィッド・シルヴィアンが自分のギター・ソロをすべて消去したというエピソードは面白い。
『Cloud About Mercury』には参加できなかったミック・カーンが参加した本作には、前作に引き続いてビル・ブルーフォードが参加し、安定した作品に仕上がっている。デヴィッド自身のヴォーカル(なかなかよい)をフィーチャーしたブルージーでジャジーな「voodoo chile」(ジミ・ヘンドリクスのカヴァー)や、ミック・カーンとの共作「Lion of Boaz」(ラッセル・ホーバンのファンタジー小説『ボアズ=ヤキンのライオン』にインスパイアされた)など聞き所も多いが、トランペットにクリス・ボッティを起用した「the others」の心地よさは最高(後にクリス・ボッティは、ビル・ブルーフォード、トニー・レヴィン、デヴィッド・トーンともにブルーフォード・レヴィン・アッパー・エクストリミティーズを結成する)。
David Torn - Voodoo Chile
David Torn - Lion of Boaz
David Torn - The Others
『ミック・カーン自伝』によれば、元JAPANのメンバーによるレイン・トゥリー・クロウのプロデューサーとしてデヴィッド・トーンにもオファーがあったというが(結局実現しなかった)、このときミック・カーンから「デヴィッド・トーンに似てる」と言われたデヴィッド・シルヴィアンが自分のギター・ソロをすべて消去したというエピソードは面白い。
Chantons Noël - Ghosts Of Christmas Past [クレプスキュール]
1980年代にはファクトリーや4AD、ラフ・トレード、チェリー・レッドといったインディー・レーベルがそれぞれに魅力的なアーティストを抱えており、ジャケ買いならぬレーベル買いというなんていうのもあった。ベルギーを拠点としたレーベル、クレプスキュール(Les Disques Du Crépuscule)もそうしたレーベルの一つで、イギリスのファクトリー・レコードと共同でファクトリー・ベネルクスを立ち上げたことからイギリスのアーティストの作品も数多くリリースしていた。「クレプスキュール」とはフランス語で黄昏とか薄暮を意味するらしいが、クレプスキュールからリリースされる作品についている「TWI」という記号は、Twilightを意味するらしい。80年代初めにレコードショップの新星堂が設立したレーベル「オーマガトキ」は「逢魔が時」、すなわちクレプスキュールであった。
クレプスキュールのウェブサイト https://lesdisquesducrepuscule.com/index.php
クレプスキュールといえばアンテナやアンナ・ドミノなどオシャレなアーティストがすぐに思い浮かぶが、それにとどまらずさまざまなアーティストの作品をリリースしているため、コンピレーション作品が面白い。まずは時季に合わせて『Ghosts of Christmas Past: Chantons Noël』である。当初13曲入りで1981年にリリースされて以来、曲目を少しずつ変えて何度も再発されてきた名コンピ。Discogsによれば8種類のヴァージョンがあるが(8つのヴァージョンすべてに収録されているのは、アズテック・カメラ「ホット・クラブ・オブ・キリスト」、ポール・ヘイグ「キリスティアナ」、ドゥルッティ・コラム「ワン・クリスマス・フォー・ユア・ソーツ」、ネイムス「トウキョウ・トワイライト」の4曲だけ)、私の手もとにあるのはアズテック・カメラで始まりグレゴリオ聖歌で終わる全18曲。選曲もイイが、タイトルのGhosts of Christmas Pastとは、イギリスの文豪ディケンズの名作『クリスマス・キャロル』に登場する3人の精霊のうち、最初に現れて主人公スクルージに彼自身の過去を見せるゴーストである。タイトルもイケてる。
One Christmas for Your Thoughts / The Durutti Column
01. Aztec Camera / Hot Club Of Christ
02. The French Impressionists / Santa Baby
03. The Pale Fountains / Benoit's Christmas
04. Paul Haig / Scottish Christmas
05. The Arcadians / Write Your Letter
06. Isabelle Antena / Noelle A Hawai
07. The Names / Tokyo Twilight
08. Paul Haig / Christiana
09. The Durutti Column / One Christmas For Your Thoughts
10. Hillcrest Club / Breakfast At Christmas
11. Thick Pigeon / Jingle Bell Rock
12. Cabaret Voltaire / Invocation
13. Tuxedomoon / Weinachts Rap
14. Michael Nyman / Cream Or Christians
15. Swinging Buildings / Praying For A Cheaper Christmas
16. The Durutti Column / Snowflakes
17. Current93 / Happy Birthday Pigface Christus
18. Monks In The Snow / A Theme For This Special Evening
クレプスキュールのウェブサイト https://lesdisquesducrepuscule.com/index.php
クレプスキュールといえばアンテナやアンナ・ドミノなどオシャレなアーティストがすぐに思い浮かぶが、それにとどまらずさまざまなアーティストの作品をリリースしているため、コンピレーション作品が面白い。まずは時季に合わせて『Ghosts of Christmas Past: Chantons Noël』である。当初13曲入りで1981年にリリースされて以来、曲目を少しずつ変えて何度も再発されてきた名コンピ。Discogsによれば8種類のヴァージョンがあるが(8つのヴァージョンすべてに収録されているのは、アズテック・カメラ「ホット・クラブ・オブ・キリスト」、ポール・ヘイグ「キリスティアナ」、ドゥルッティ・コラム「ワン・クリスマス・フォー・ユア・ソーツ」、ネイムス「トウキョウ・トワイライト」の4曲だけ)、私の手もとにあるのはアズテック・カメラで始まりグレゴリオ聖歌で終わる全18曲。選曲もイイが、タイトルのGhosts of Christmas Pastとは、イギリスの文豪ディケンズの名作『クリスマス・キャロル』に登場する3人の精霊のうち、最初に現れて主人公スクルージに彼自身の過去を見せるゴーストである。タイトルもイケてる。
One Christmas for Your Thoughts / The Durutti Column
01. Aztec Camera / Hot Club Of Christ
02. The French Impressionists / Santa Baby
03. The Pale Fountains / Benoit's Christmas
04. Paul Haig / Scottish Christmas
05. The Arcadians / Write Your Letter
06. Isabelle Antena / Noelle A Hawai
07. The Names / Tokyo Twilight
08. Paul Haig / Christiana
09. The Durutti Column / One Christmas For Your Thoughts
10. Hillcrest Club / Breakfast At Christmas
11. Thick Pigeon / Jingle Bell Rock
12. Cabaret Voltaire / Invocation
13. Tuxedomoon / Weinachts Rap
14. Michael Nyman / Cream Or Christians
15. Swinging Buildings / Praying For A Cheaper Christmas
16. The Durutti Column / Snowflakes
17. Current93 / Happy Birthday Pigface Christus
18. Monks In The Snow / A Theme For This Special Evening
Counterfeit e.p. / Martin L. Gore マーティン・ゴア [デペッシュ・モード]
デペッッシュ・モードの6枚目のアルバム『ミュージック・フォー・ザ・ザ・マスィズ』(87年)と7枚目の『ヴァイオレーター』(90年)の間には3年間のブランクがあるが、このインターバルにはメンバーのソロ活動も行われた。このうちマーティン・ゴアが89年にリリースした6曲入りのミニ・アルバム『カウンターフィットe.p.』はカヴァー集であり、DMのルーツを考える上でも大変興味深い。なおカウンターフィットとは、ブートレッグのうちライヴを隠し録りしたコレクターズ盤ではなく、オフィシャル盤を完コピした偽造盤を一般的には指す。
収録曲は、
01. Compulsion (ジョー・クロウ)
02. In A Manner Of Speaking(タキシードムーン)
03. Smile In The Crowd(ドゥルッティ・コラム)
04. Gone(コムサット・エンジェルズ)
05. Never Turn Your Back On Mother Earth(スパークス)
06. Motherless Child(プリンスも取り上げた黒人霊歌のスタンダード・ナンバー)
曲のチョイスはとんでもなくヴァラエティに富んでおり、にもかかわらず全体的には統一感があるというマーティン節にあふれたカヴァー集。01はチェリー・レッドのコンピ『ピローズ&プレイヤーズ』に収録されていた曲で、よくもまぁこんなマイナーな曲を選んだモノだと感心する。オリジナルのチープさを損なわない程度に音を重ねている点がグッド。ドウルッティ・コラム(2枚目『アナザー・セッティング』に収録)とコムサット・エンジェルズ(2枚目『Sleep No More』に収録)という選曲もツボだが、なんと言ってもタキシードムーンの「In A Manner Of Speaking」のカヴァーが素晴らしく良い。
タキシードムーンは70年代にサンフランシスコで結成されたバンドだが、80年代にはいると活動拠点をベルギーに移し、ベルギーのクレプスキュールやクラムド・ディスクと言ったレーベルからヨーロッパ的耽美感に満ちた作品をリリースしていた。ここでカヴァーされている「In A Manner Of Speaking」(当時の邦題は「言うなれば」)は彼らの4枚目のアルバム『ホリー・ウォーズ』(当時の邦題は『聖戦』)のA面ラストを飾る曲で、ペシミスティックでメランコリック、まさにヨーロッパの黄昏といった趣の曲である。ヴォーカルをとっているウィンストン・トンはアジア系というのも当時は面白く感じたものだ。『聖戦』は日本盤が初めて紹介されたタキシードムーンの作品で、当時のSMSレコードが立ち上げた、WAVE(最近復活したレコードショップ)レーベルからアインシュトゥルツェンデ・ノイバウテンらとともにリリースされた。雑誌『フールズ・メイト』の表紙裏などにはWAVEレーベルの大きな広告が掲載されていたが、当時のSMSはコクトー・トゥインズやトーンズ・オン・テイルなど、英国ニューウェーヴ系のマニアックなアーティストをリリースしていたのでなかなか重宝したものである。
SMSレコードについて(ニッポン放送 MUSIC ONLINE)
https://news.1242.com/article/165896
「In A Manner Of Speaking」は、ヌーヴェル・ヴァーグ(Nouvelle Vague)もカヴァーしているが、こちらもよい。
Martin L. Gore - In A Manner Of Speaking
Tuxedomoon - In a Manner of Speaking
Tuxedomoon - In a manner of speaking, La Edad de Oro, Madrid 1983
Nouvelle Vague - In A Manner Of Speaking (Full Track)
Nouvelle Vague - In a manner of speaking - in Bruges EXCELLENT QUALITY